2024年11月2日 / 最終更新日 : 2024年11月2日 gosuitei 木幡智恵美 老い老いに 10 夕焼け通信が始まって2年目となる1994年の年が暮れ、1995五年に改まって半月ほど経った1月17日の早朝5時46分。夫に起こされ地震だと気が付き、傍に寝ていた二男を抱え込んだ。どれくらい続いたのか、揺れが収まったとこ […]
2024年10月27日 / 最終更新日 : 2024年10月27日 gosuitei 木幡智恵美 老い老いに 9 2年目に突入した夕焼け通信には次々と新たな書き手が現れ、内容も多彩になる。紀行文のほか、自然の様子や身の回りの出来事、その時々の思いを綴ったエッセイが何人かから寄せられた。Mさんが寄せてくれたのは、亡き祖母が病床で書き […]
2024年10月19日 / 最終更新日 : 2024年10月19日 gosuitei 木幡智恵美 老い老いに 8 昨年3度目の北海道旅行にいくはずだったのが、行く途中事故に遭い中断する羽目に。北海道には早期退職した年と、その次の年にバイクで行っている。北海道をバイクで旅をすることに少なからず影響を与えたのが、2年目に編集長が連載し […]
2024年10月13日 / 最終更新日 : 2024年10月13日 gosuitei 木幡智恵美 老い老いに 7 ところで、夕焼け通信が2年目を迎えた1994年とはどんな年だったのだろうか。前年の8月に発足した連立政権の細川内閣は、8か月後のこの年4月首相の辞意表明で羽田内閣にバトンを繋いだ。その羽田内閣も日本社会党の連立離脱によ […]
2024年10月6日 / 最終更新日 : 2024年10月6日 gosuitei 木幡智恵美 老い老いに 6 週1回という無謀な宣言をして始めた「夕焼け通信」。何とか1年続けることができ、部数も30部から80部に増えた。そんな時、発起人であるNさんと編集長が転勤となる。そこで、夕焼け通信の拠点は編集長の転勤先の隠岐へ移ることに […]
2024年9月30日 / 最終更新日 : 2024年9月30日 gosuitei 木幡智恵美 老い老いに 5 翌日日赤に転院した夫は集中治療室で幾日か過ごした後大部屋へ移り、約1か月で退院、自宅療養を経て職場に復帰した。「腐ったかぼちゃ」と言われた夫の心臓は、その12年後に狭心症の発作を起こして冠動脈に2本のステントを入れられ […]
2024年9月22日 / 最終更新日 : 2024年9月22日 gosuitei 木幡智恵美 老い老いに 4 私が2号から連載したのは、「おばの話」だ。伯母は3歳の時に髄膜炎を患い、命はとりとめたものの、半身に麻痺が残り、知的発達が遅れた。障がい児教育に携わるようになったのは、当時担任していた児童のことが直接の要因だ。けれども […]
2024年9月15日 / 最終更新日 : 2024年9月15日 gosuitei 木幡智恵美 老い老いに 3 さて、「夕焼け通信」という週刊通信が始まった1993年は、どんな年だったのだろうか。先月、南海トラフ臨時情報が気象庁から出され、国民の多くが自粛モードになった。年々大きな地震が起きる頻度が増していると感じるこの頃だが、 […]
2024年9月9日 / 最終更新日 : 2024年9月9日 gosuitei 木幡智恵美 老い老いに 2 物置の奥から段ボール箱を引っ張り出し、中からB4版のファイルを取り出す。長い間目に触れられずにいた印刷物に目を通す。1993年4月23日、夕焼け通信第1号だ。通信が始まった経緯を、発起人の一人である当時の幼稚園長Nさん […]
2024年9月1日 / 最終更新日 : 2024年9月1日 gosuitei 木幡智恵美 老い老いに 1 夕焼け通信という週刊通信が始まったのは1993年4月。その頃の私はまだ30代だった。子育て真っ最中で、長女が5年生になり、長男が小学校に入学したばかり、二男は保育園の年少だった。毎日追い立てられるような生活で、朝洗濯物 […]