2025年5月25日 / 最終更新日 : 2025年5月25日 gosuitei 木幡智恵美 老い老いに 35 前号に夕焼け通信300号が綴りに存在しないことを書いたところ、編集長から「40ページで発行しています」とのメールを受け取った。かなりの圧巻だから穴を空けてファイルに綴じるのではなく、別に綴じたのかもしれないと思い、こ […]
2025年5月17日 / 最終更新日 : 2025年5月17日 gosuitei 木幡智恵美 老い老いに 34 1999年度の夕焼け通信には、Y氏の「当たらずとも遠からず」の連載が長く続き、K・AさんやT・Hさんの詩も度々掲載された。K・Aさんは「世紀末」というタイトルで、ノストラダムスの予言を取り上げた詩も寄せてくださった。前 […]
2025年5月11日 / 最終更新日 : 2025年5月11日 gosuitei 木幡智恵美 老い老いに 33 夕焼け通信は1999年4月、7年目に突入した。長女は高校2年生、長男が中学校入学、二男が4年生、私は一向に慣れない中学校での勤務2年目を迎えることになる。 子どもたちはそれぞれ大きくなったが、子育ての悩みは尽きない。 […]
2025年5月4日 / 最終更新日 : 2025年5月4日 gosuitei 木幡智恵美 老い老いに 32 6年目の1998年度に夕焼け通信に載せられた講演(講演録として連載されたものを除く)やお知らせをあげてみる。講演会の案内は次の通り。 ・長谷川集平講演会『ぼくが絵本をかきながら考えてきたこと』石央文化ホール ・アムネス […]
2025年4月28日 / 最終更新日 : 2025年4月28日 gosuitei 木幡智恵美 老い老いに 31 夕焼け通信が始まって6年目にあたる1998年度も、新たな書き手を次々と迎えながら発行し続ける。随筆や詩、講演録、時折海外事情も載せ、大概B5版8ページを保った。 そして年度途中で1999年に突入する。ノストラダムスの […]
2025年4月19日 / 最終更新日 : 2025年4月19日 gosuitei 木幡智恵美 老い老いに 30 さまざまな催しの案内が夕焼け通信に載るようになった。最初の講演案内がなされ、記録が掲載されたのは、1995年10月に隠岐で開催された尹健次氏の講演だ。演題は『戦後五〇年❘日本人と日本社会』。尹氏が書かれた岩波ジュニア新 […]
2025年3月22日 / 最終更新日 : 2025年3月22日 gosuitei 木幡智恵美 老い老いに 28 夕焼け通信は奥出雲を拠点として6年目に突入した。編集長による「加害者としての私の戦争体験❘日本は中国で何をしてきたか❘」の講演録、Y氏の「放浪の記」、「看護・今、むかし」が連載される中、もう一つ連載が加わった。子どもの […]
2025年3月16日 / 最終更新日 : 2025年3月16日 gosuitei 木幡智恵美 老い老いに 27 夕焼け通信発行5年目が終わり本社移転となった春、発祥の地秋鹿支社が閉鎖となる。発起人3人のうち一人残った私も転勤となり、秋鹿の地を去ることになったのだ。 この年の春はてんてこ舞いだった。娘が高校に進学し、毎日弁当作り […]
2025年3月9日 / 最終更新日 : 2025年3月9日 gosuitei 木幡智恵美 老い老いに 26 「加害者としての私の戦争体験❘日本は中国で何をしてきたか❘」の講演録、Y氏の「放浪の記」が続く中、新たな連載も始まった。ご自身の看護師としての体験を書かれたものだ。その他、ずっと詩を書き続けている方、地元で文筆活動を続 […]
2025年3月2日 / 最終更新日 : 2025年3月2日 gosuitei 木幡智恵美 老い老いに 25 夕焼け通信5年目の年も暮れ、1998年に突入した。この年の元旦、息子たちを連れて近くの神社に初詣に行くと、お参りに来た客の中に3人居た年男が祭壇の前に座らされた。長男もその一人で、白い衣を付けられ神妙な顔で神葉を受け取 […]