2025年1月12日 / 最終更新日 : 2025年1月12日 gosuitei 木幡智恵美 老い老いに 18 新しい年が始まった。昨年は、元日に能登半島地震が起き、正月気分ではなくなった。誰もが能登の人々のことを心配し、盆も正月もない自然災害の脅威に戦慄した。さらに震災の詳細が分からないまま、翌日には羽田空港で能登に向かうはず […]
2024年12月21日 / 最終更新日 : 2024年12月21日 gosuitei 木幡智恵美 老い老いに 17 編集長に、「色々な方と知り合われるようですが、どうしてそんなことができるのですか」と聞いたことがある。すると、編集長は、「よく手紙書くんですよ。そしたら、意外に返事が来るんです」とのこと。小説家などからも返事がくるのだ […]
2024年12月15日 / 最終更新日 : 2024年12月15日 gosuitei 木幡智恵美 老い老いに 16 4年目に突入した夕焼け通信、この年も新旧交代しながら10人以上の書き手による文章が紙面を賑わした。小説や脚本まで現れ、出稿者も遠くはオタワにまで。私は幼少期を過ごした大阪の泉南での生活を1年にわたって連載している。そし […]
2024年12月8日 / 最終更新日 : 2024年12月8日 gosuitei 木幡智恵美 老い老いに 15 夕焼け通信3年目の1995年が暮れ、1996年が始まってすぐに、村山富市内閣から橋本龍太郎内閣に移っている。その2月、将棋の羽生善治さんが七冠を達成。将棋をかじり始めた二男が「大きくなったら羽生になる」とよく言っていた […]
2024年12月1日 / 最終更新日 : 2024年12月1日 gosuitei 木幡智恵美 老い老いに 14 編集長が隠岐へ渡ってから、夕焼け通信に隠岐色が濃くなっていく。もともと書き手も読み手も編集長の求心力によって夕焼け通信に吸い寄せられてきたようなものだから、その編集長が行くところに人は集まり、様々なことが展開されていく […]
2024年11月23日 / 最終更新日 : 2024年11月23日 gosuitei 木幡智恵美 老い老いに 13 夕焼け通信1年目に何らかの形で文章を載せたのは6名、2年目は11名。3年目は100号記念に寄稿いただいた方を除いて12名の文章が掲載された。前号では国際色も出て来たと書いたが、この12名の中には、彫刻家、陶芸家も含まれて […]
2024年11月17日 / 最終更新日 : 2024年11月17日 gosuitei 木幡智恵美 老い老いに 12 夕焼け通信が3年目に入り、100号を突破した1995年の10大ニュースは以下の通りだ。1位、阪神淡路大震災。2位、オウム真理教による地下鉄サリン事件。3位、金融機関の相次ぐ破綻。4位、大和銀行巨額損失。5位、沖縄少女暴 […]
2024年11月10日 / 最終更新日 : 2024年11月10日 gosuitei 木幡智恵美 老い老いに 11 阪神淡路大震災という未曽有の災害に見舞われた1995年。その4月に夕焼け通信は3年目に突入した。そして、6月12日には100号に達し記念号を発行する。編集長が事前に寄稿をお願いしていたところ、たくさんの人から文章を寄せ […]
2024年11月2日 / 最終更新日 : 2024年11月2日 gosuitei 木幡智恵美 老い老いに 10 夕焼け通信が始まって2年目となる1994年の年が暮れ、1995五年に改まって半月ほど経った1月17日の早朝5時46分。夫に起こされ地震だと気が付き、傍に寝ていた二男を抱え込んだ。どれくらい続いたのか、揺れが収まったとこ […]
2024年10月27日 / 最終更新日 : 2024年10月27日 gosuitei 木幡智恵美 老い老いに 9 2年目に突入した夕焼け通信には次々と新たな書き手が現れ、内容も多彩になる。紀行文のほか、自然の様子や身の回りの出来事、その時々の思いを綴ったエッセイが何人かから寄せられた。Mさんが寄せてくれたのは、亡き祖母が病床で書き […]