2025年6月29日 / 最終更新日 : 2025年6月29日 gosuitei 木幡智恵美 老い老いに 40 2000年度の夕焼け通信は、本局が横田、支局が松江、出雲郷、隠岐の三つのまま始まった。内容はというと、Y氏が新たなタイトル「松次郎じいさんの遺書」で、短歌を織り込みながら綴り、M・Iさんの「漫画道楽記」も雑誌、映画等か […]
2025年6月22日 / 最終更新日 : 2025年6月22日 gosuitei 木幡智恵美 老い老いに 39 2000年10月6日に起きた鳥取県西部地震はマグニチュード7.3。日記には記載が続く。 10月8日「今朝は6時過ぎに揺れた。一日家で待機。…(中略)…夜九時頃大きいのがあった。西伯で5弱だから伯太も大きかっただろう」 […]
2025年6月14日 / 最終更新日 : 2025年6月14日 gosuitei 木幡智恵美 老い老いに 38 夕焼け通信8年目、私は次の赴任先で新設された情緒障害児学級の担任となった。信頼関係を築くまでが大変なことは前々任校で経験している。けれども、全く違うタイプの子を相手にどう接するのが良いのか試行錯誤で、ぐったりして帰る日 […]
2025年6月8日 / 最終更新日 : 2025年6月8日 gosuitei 木幡智恵美 老い老いに 37 娘の子どもが小さい頃は、熱を出すと我が家で預かることがよくあった。上が5年生、真ん中が3年生、末っ子が年長となったこの頃はそれがほとんどなくなっている。 2000年の日記を読み返すと、我が長女は高校2年生、長男は中学 […]
2025年5月31日 / 最終更新日 : 2025年5月31日 gosuitei 木幡智恵美 老い老いに 36 世紀末の1999年、世界は終わりを告げなかった。2000年に突入、新世紀を迎えた。年頭の日記にこんなことを書いている。 子どもの頃、2000年になると44歳のおばあさんかあと思っていた。そのおばあさんになってしまった […]
2025年5月25日 / 最終更新日 : 2025年5月25日 gosuitei 木幡智恵美 老い老いに 35 前号に夕焼け通信300号が綴りに存在しないことを書いたところ、編集長から「40ページで発行しています」とのメールを受け取った。かなりの圧巻だから穴を空けてファイルに綴じるのではなく、別に綴じたのかもしれないと思い、こ […]
2025年5月17日 / 最終更新日 : 2025年5月17日 gosuitei 木幡智恵美 老い老いに 34 1999年度の夕焼け通信には、Y氏の「当たらずとも遠からず」の連載が長く続き、K・AさんやT・Hさんの詩も度々掲載された。K・Aさんは「世紀末」というタイトルで、ノストラダムスの予言を取り上げた詩も寄せてくださった。前 […]
2025年5月11日 / 最終更新日 : 2025年5月11日 gosuitei 木幡智恵美 老い老いに 33 夕焼け通信は1999年4月、7年目に突入した。長女は高校2年生、長男が中学校入学、二男が4年生、私は一向に慣れない中学校での勤務2年目を迎えることになる。 子どもたちはそれぞれ大きくなったが、子育ての悩みは尽きない。 […]
2025年5月4日 / 最終更新日 : 2025年5月4日 gosuitei 木幡智恵美 老い老いに 32 6年目の1998年度に夕焼け通信に載せられた講演(講演録として連載されたものを除く)やお知らせをあげてみる。講演会の案内は次の通り。 ・長谷川集平講演会『ぼくが絵本をかきながら考えてきたこと』石央文化ホール ・アムネス […]
2025年4月28日 / 最終更新日 : 2025年4月28日 gosuitei 木幡智恵美 老い老いに 31 夕焼け通信が始まって6年目にあたる1998年度も、新たな書き手を次々と迎えながら発行し続ける。随筆や詩、講演録、時折海外事情も載せ、大概B5版8ページを保った。 そして年度途中で1999年に突入する。ノストラダムスの […]