がらがら橋日記 一人旅(2)

 いくらなんでもあんまりだろう、なんでこんな目に遭わなくっちゃいけないのだ、といわば怒りに駆られて自転車を購入した。一人旅を決行するために、七千円でバイクを買った四十年前と同じように。
 あのとき必要だった冒険が、今また必要になったのだ。ただ違うのは、未知を求めることに駆り立てられたからではなく、さっさと始めておかなきゃいきなり強制終了の憂き目に遭う、と思い知らされたことによる。これからの一年間は、一人旅のための準備期間だ。そのための知識と体力をじっくりつけていこう。そうとでも思っていないと理不尽に対抗できない。
 北海道の壮瞥から登別に向かう途中に、オロフレ峠という難所がある。舗装道路ではあるものの結構な急勾配を延々と走り続けているうちに、ぼくの七千円は唸るばかりで進まなくなってしまった。仕方なく、降りて押して歩く。人跡まばらもというより何時間歩こうとも人家に出会うことのない坂道をただただ押して歩く。雨も降り続いていて、合羽の中にしみ込んでくる。寒い。途中、手の皮も赤く剥けてしまい、すっかりくたびれて道路脇の草むらで四肢を投げ出したが、雨は容赦なく全身に降り注いだ。
 少し前に通り過ぎていった自動車が戻ってきて、ぼくの前で止まる。ぼくの両親と同じ年格好の夫婦が乗っていた。
「どうしたの?」
 ウィンドウを下ろして、夫が声をかけてくる。その向こうで妻が心配そうにこちらを見ている。
「ガス欠みたいで。」
 ほんとうはガス欠ではなく、ぼくの七千円に登る力がなかったからなのだが、このままならガス欠になるのも見えていた。
 夫は、車を降り、ボンネットを開けてキャブレターにつながったチューブを外し、携帯していたポリ容器で受けるように言った。車の構造に精通しているらしい。エンジンを再びかけると、チューブの先からガソリンが出てきた。一リッターの容器にピンク色の液体がたまっていくのを見ていると、ただ押して歩くことしか思いつかない自分の愚かしさが恥ずかしくなった。
「当分ガソリンスタンドないけどね、カブでそれだけあったらだいじょうぶかな。」
 ただ、頭を下げるしかないぼくに微笑みかけると、二人はまた車で上っていった。
 道を変えよう。上れないのなら下ればいいのだ。エンジンをかけないまま、来た道を下る。重くて仕方のなかった七千円は、軽快そのものだ。  (つづく)