がらがら橋日記  一人旅

 高校を卒業した春休みにバイクで一人旅することを思いついた。ようやく学校が終わったという解放感をこんな形で収めないと体のむずむずが止まらないのだった。
 近所のバイク屋で最安の中古を買った。七千円だった。新聞配達のアルバイト料が月九千円、手の届くバイクは、このツーサイクルエンジンのカブだけだった。
 行く先に選んだのは、奈良。東大寺のお水取りに間に合わせようと出発したのだが、雪がちらつくほどの寒さに体の芯まで冷えきって、着くには着いたが一時間旅館の風呂に浸かっていても体の震えが止まらなかった。お水取りを見る願いは叶わなかったが、それから一週間、日本史の教科書に載った口絵写真の実物たちにその場を動けなくなるほど鷲づかみにされた。
 免許取りたて、バイク買いたて、思いついて即、ずっとあとで気がついたが、自動車専用道路をカブで構わず走っていた。その時は、ドライバーたちがなぜだれもかれものぞきこむようにぼくの顔を見ていくのかさっぱりわけが分からなかった。
 大学生になった夏、同じカブを乗り続けていたぼくは、北海道に行くことを思いついた。奈良のその先は、北海道しかないとでもいうように。
 友人の下宿でちょっとした出発式をやった。手作りのお守りだの餞別だの受け取って、出発したのが深夜二時だか三時だか。初日にできるだけ距離を稼ごうという計画だ。
 敦賀の神社、金沢の友人宅、柏崎の寺、秋田のバス停、北海道でのひと月、何を食べようとどこで寝ようと翌朝にはきっちり元気になっている。なんて幸福な旅をしたのだろう。
 あれから四十年経った今、再び寝ても覚めても旅のことを考えている。一日も休まなかった新聞配達は高校を卒業するのと同時にやめたが、大学を卒業してからほとんど休まずに四十年近く働いた。解放されたはずの学校でだ。ようやくそれもあと一年で終わろうとしている。
 北海道への出発前夜もらった手作りのお守りは、旅の終わりには、汗やら埃やら排気ガスやらで黒く汚れていた。それでも無事に帰ってこれたのだから御利益は確かだった。一番の御利益は、その作者といっしょになれたことかもしれないが。
 さてこれからってとき、いくらでも嫌がらせをしてくるのが人生ってものらしい。よくもまあ、次々と。だったらむずむずしてやろう。十八の体力と無知はもう手にはできないが、その代わりをかき集めて。