老い老いに 72

 やりたいこと第1位の北海道旅行から戻ると、これまでに書きためたものを冊子にまとめた。畑には週に2度通って収穫もするようになり、やりたかったことを次々とこなしていく。思わぬ絵本作りに関わったことから、通信講座で挿絵ライターコースも試すようになったし、ついでに短歌の通信講座も受講した。週1回の点訳講習会では頭が痛くなったけど、これまでできなかったことが目いっぱいできる喜びを感じる毎日になった。

 そうして迎えた秋、娘の身体に異変が起きた。紹介してくれた医院の先生がこれまでの経験からか検査に回すと、良くない結果が出たようだ。医院から親と一緒に来るようにと娘に連絡が入る。先に私が呼ばれ、「娘さんにどう伝えましょうか」と先生に尋ねられた時は、相当深刻なのだなと思った。おずおずと先生の前に座り、こう答えた。「こうして呼ばれたこと自体、娘には感じているものがあるようです。それに本人は医療従事者ですから、いずれ分かると思いますので、ありのままを話してください」。娘と交代した後、再度私も呼ばれ、カレンダーを見ながら治療計画を説明された。当時、娘は25歳、若いのでなるべく早く悪いところと周囲をごっそり切除する必要に迫られていたのだ。日記の最後に、英語でなく日本語でその間の経緯が事細かく記されている。それを読むと、あの頃のどきどきが蘇って来た。

 入院した娘に付き添った期間は、何憚ることなく傍に居られた。五歳で入院した際は、朝が来ると義母と交代して仕事に向かい、時間休をとって帰り朝まで病院で過ごす毎日だった。でも、この時は居られるかぎり、傍らで痛いところをさすったり、車椅子に乗せて運んだり、洗髪してやったりできた。このために早く辞めるよう天が命じたのではとも思った。

 大変な思いをした娘であったが、患者の立場に立って医療従事者のありようを学ぶ機会にもなったようだ。相当な痛みだったようだし、再発の不安もあったろうに、明るく振舞う娘には救われた。心にも身体にも大きな傷を負いながらも、仕事に復帰し、今では3児の母だ。あれから20年近く経ち、仕事に子育てに奔走している娘の姿に安堵するとともに、目に見えぬ何かの力に感謝している。