老い老いに 69
何のためらいもなくきっぱりと仕事を辞めた。ところが、29年間のほとんどを子育てしながら仕事し続けて来た身には、家に居ることが妙に落ち着かない。まさに専業主婦初心者だ。時間に追われる生活を続けてきて、いきなり目の前に無限の時間が広がった。どう手を付けたらいいのか。通勤通学時間帯に人前に出ることもはばかられた。仕事をしないでいることが罪悪のように感じられたのだ。そんな思いを紛らわそうとして作った「やりたいことリスト」を一つ一つこなしていく。家中の大掃除をし、伯父に借りた畑を耕し、奈良への小旅行に出かけたり、長男のアパートを訪ねたり。
そうしているうちに、やりたいことリスト中の一番だった北海道旅行に出かける日がやってきた。ルートは夫と二人で決め、ロードマップは夫、宿泊先の予約は私と仕事を分担した。家のことは娘と二男に託して、7月7日に2台のバイクに乗って出発。7月半ばになるとフェリー代が高くなるためこの日を選んだのだが、20時間以上フェリーに揺られ、夜小樽のペンションにたどり着くとやけに寒い。翌朝起きて窓から外を見ると、マーガレットが咲いているではないか。5月に咲く花だから、ここ北海道は島根の2か月くらい前の季節なのだ。結局、この年の北海道巡りは寒さとの闘いだった。持ってきた衣類をすべて着込み、首にはタオル、ジャケットの上に合羽を重ねた。狩勝峠では雪の壁の間を走り、阿寒に着いた時はたまらずホッカイロを買った。そんな過酷な旅ではあったが、見知らぬ土地で知り合ったライダーたちと仲良くなった。その人たちから旅のコツを教わる。あまり細かい計画は立てないこと。出会った人たちから得た情報を元に軌道修正をする柔軟性を持つこと。ライダーハウスの存在も知った。バイクに乗る人限定の宿で格安の金額で泊まれるという。次回はそれを利用することにしよう。寒さには参ったけれども、霧のない青々とした摩周湖の姿を見ることができたし、硫黄山では道に寝そべっているキタキツネにもお目にかかれた。美瑛では白、ピンク、薄紫のジャガイモの花や緑の葉で織りなすパッチワークの景色も楽しめた。なにより松山千春歌う「はてしないーおおぞらとー」が自然と頭の中に流れてくる広大な大地、のんびりと草を食む牛たちの姿を眺めながら走るのは最高だった。
