座付の雑記 31 公民館まわり 2
退職時には、今の座付作者生活などまったく想定していなかった。学校勤めはしないと決めていたが、かといって他にやりたいこともなかった。しばらくぶらぶらして、それが耐え難くなったら何をするか決めようと思っていた。泰然とはほど遠く、そんな半端な態度では早晩鬱屈し、イライラを募らせキレまくる昭和オヤジの一丁あがりになりはしまいかと危惧も抱いたものである。
退職後をどう過ごすかは、先達の指南書が数多出ており、退職を意識し始めてから、図書館でそれらしきタイトルが見えたら片っ端から借りて読んだ。上から目線で言われたら誰も買わないだろうから、どの本もとても親切で丁寧だった。いかに孤独に陥らず、無力感に蝕まれないようにするか、さまざまな事例やデータ、学説、で具体的に説かれていた。
よく目にしたのが、自分がしてきたこと、またやってみたいことのリストを作ってみよ、という勧めである。実現に至らなかったことも含めて、かつてしてきたことやしたいと思ったことがこれからの土台になるから、どんな些細なことも挙げてみろ、と。なるほど、ぼんやりとしたところから思いつくのは難しいだろうから、リストにして見えるようにすれば役に立つかもしれない。そう考えて書き出してみたら、やってみたいことはいくらでも浮かんできた。旅、習い事、明るいうちから酒、などなど。具体的に事細かく思い描いていると、退職する日を文字通り指折り数えずにはいられなくなった。
もう少しで退職して丸5年になる。座付作者の職を得たこともあって、あれほどワクワクしてこしらえたやりたいことリストもいつの間にかどこかに消えてしまい、何を書いたかもあらかた忘れてしまった。山や街道や、美術館、演劇など焦がれるように思っていたはずが、今の我が身を振り返るに、そもそも出かけることが面倒になってきているではないか。何時間も運転したり、電車を乗り継いだりが億劫になってくるなんて想定していなかった。
公民館や集会所めぐりの意義がここでまた浮き上がってくる。きっと面倒くさがらずに出かけられる範囲は、これからじわりじわりと収縮していくことだろう。いずれは県民会館に行くのも渋りそうだ。しかし、生き生きしたものを、面白いものを、見たい触れたいという欲望はそう簡単に減退はしまい。すぐそこの集会所でやってくれるんなら行くんだけどねえ、それがきっとぼくの行末だし、たぶん御同類は少なからずおられるだろう。こども落語はそんな需要に応えているのかもしれない。
