座付の雑記 27 印象深い

 松江が初任地という若い新聞記者から取材を受けた。話の流れで、彼女が見せてくれたスクラップブックには、自身の記名記事が掲載順に並んでいた。一つ一つ誇らしかったり、悔いたりして貼ったんだろうと察せられた。

 夏のゆうれい船やチャリティーライブの記事も書いてくれていた人で、何度かしゃべっているうちに、ぼくがなぜこどもたちに落語をさせているのか興味をもったらしい。インタビューは、10年以上前のそもそもの始まりについてくわしく聞かれた。これまでもそれは聞かれていて、何度か記事になっている。でも、答える度に変わっていることを白状させていただく。その時は、そう思っていたのだから仕方がないのだが、後から考えると、どうしても取材の文脈にひきずられてしまって、記事にするのによさそうな答えをついしゃべってしまっている。自分で語りながら、あとから「本当か?」と自問する。その修正も二度三度となると、だんだんこのあたりが本当かもしれないというあたりに落ち着いてきた。

 昨日、その記者から電話があった。いくつか確認をしたあと、

「やっぱり印象深いことといったら、高尾小学校での落語ですか」

と聞いてきた。記者にとって初任地が忘れがたいように、ぼくもこども落語を始めたところだから印象深いのはまちがいない。でも、今の印象の供給元は今の子どもたちだ。

「もちろんそれはありますけどね、今やってることも印象深いです」

「たとえば、どんなことですか?」

問われて続けざまに浮かんできた子どもたち。一人は、この間、転校していく友だちのために「仲良くしてくれてありがとう」を落語会で伝えた子。だれかを喜ばそうと思ったらこんなに力が出るのか、と見ていて圧倒された。その友だち家族は、「一生忘れない」と言ったそうだが、プロとかアマとか、表現力の優劣とか、小さな子であろうとそんな尺度を超えてしまうことがあるのだ。

 もう一人、家族の葬儀で落語を披露した子。親族が集まった場で、なんとなく手持ち無沙汰になった時間、「落語やってくれない?」と祖母が言うのに躊躇しつつも結局応じた。

「こんな場でやらせていいのかとドキドキしました」

後日祖母はそう言って笑ったが、大いに盛り上がったそうだ。故人の人徳をそんな形で讃えられる家族も、感じ取れる子どもにもまた頭が下がった。