老い老いに 61

 2005年の夕焼け通信は、今も書き続けて下さっているN・Rさん、M・Iさんのほか、Y氏が「かさこじぞうを演じる」の連載を始め、S・Oさんの「療養日記」が掲載された。そして、K・Aさん、T・Hさん、M・Aさんからは時折詩が送られてきた。海外事情はK・TさんからのSWEDEN REPORT。時に6ページになることもあるが、ほぼ4ページという現在のスタイルで続いている。

 この年が創刊13年目、さらにその後20年の月日を重ねているのだが、この「続ける」ということが、私を苦境から救ってくれた。

 夫の二度目の大病で、早期退職を本気で考えるようになったのだが、実はその何年か前から辞めることが頭にちらついていた。仕事が負担になってきたのだ。年齢的にはもうベテランの域に達しているのに、尊敬する先輩方のようにはできない。バリバリ仕事をこなす後輩たちに気後れしてしまう。失敗すると、それが気になって前に進めない。ヒヤリハットがあった翌朝など、動悸が治まらず、職場に向かう足が鈍る。後で娘に聞いたのだが、その頃は端から見ても様子がおかしかったようで、夫に「お母さんの力になってやって」と言われていたのだそうだ。

 そんな私が辛うじて自分を保ちえたのは、第一には家族の支えがあったからだが、「続ける」ものがあったからだと思う。合気道の稽古で身体を動かすことが発散になり、夕焼け通信が気持ちを支えてくれた。「毎週書く」という使命のようなものが、自分を奮い立たせてくれたのだ。これまで書き続けてきたからには書き続けようと。

その後、職場が変わり、新しい風に吹かれて少しずつ気持ちが前向きになったけれど、早期退職の気持ちは夫の病気を機に現実味を帯びたものとなった。あの不安定状態は更年期障害によるものだったのかもしれない。もし、そうだったとしたら、これから更年期を迎える人に言いたい。何か続けるものがあると、人は苦境を乗り越えられると。

 私には「夕焼け通信」は恩人(恩紙?)のようなものだ。今、老齢に達し、身体は弱り、気持ちも萎えていくけれども、ここに書き続けることで、残された日々を確かに歩いて行ける気がする。