座付の雑記 24 悔い

 忙しいでしょう、と言われるようになった。定年退職の日を文字通り指折り数え、もうあんな忙しさは願い下げだと思っていたから、そう言われると、人様にそんなふうに見えるようなふるまいをしてしまっていやしないかと気になってしまう。

 一つこども寄席の依頼が入ると、会場や日程の打合せや下見、こどもたちのスケジュール調整、演目の選定や構成、それに基づいたチラシやパンフの作成、依頼主とのやりとり、といくつもの仕事ができる。したがって寄席の依頼数とぼくの仕事量とは比例する。落語教室は二年目に入って依頼数が前年比の三倍増になった。ならば仕事も三倍増になっているはずだが、なんとなく呼ぶ方も呼ばれる方も慣れてきているのと、部品の共通化を図ったのと(たとえばチラシは、同じ素材を意匠を変えるだけで使い回しする)などで、さして忙しくなったという感じがしない。

 慣れたあたりで痛い失敗をするのがこれまでの習いだが、この秋もその例に漏れず、今思い返しても残念なことがあった。落語に限らず、およそ表現なるものは、どこでどんなふうに出合うかが非常に大きい。落語はことに、語り手と聴き手の関係性に大きく左右されるものだから、同じ噺でも置き場所が異なれば、ま

るで違って聞こえる、取扱注意のしろものだ。

 とある会場で、こどもたちと観客の関係をいつものように作ることができず、脂汗が出てくるような思いをした。すべては始まる前に決していたことで、始まってしまったらもう引き返すことはできず、そのままいくしかない。予定した時間はしっかり守って、無事に終演に至ったのだが、なぜこんなことになってしまったかと最中もその後も悔いに苛まれた。どうして、などと問うまでもない。ぼくが見逃していたこと、わずかな努力や思い切りで防げたであろうことが目の前に表れているだけだ。

 次の日も寄席があった。前日の痛みをしっかり引きずっていたので、開演ギリギリまで高座の位置や客席の配置を動かし、お客さんとの会話に努めた。前日にもできたはずがしなかったのはなぜだったろう、と思いながら。

 お客様はみないい顔をして帰っていかれた。子どもたちも満足げだった。昨日と今日でこどもたちは何も変わらない。違ったのはただ座付き作者であるぼくが仕事をしたかどうかだ。そんなことに気づけただけでも前日の悔いには意味があった、と思いたいのだが、一生懸命しゃべった子どもたちにもお客さんにも二度とあの場をとりもどすことはできない。