ニュース日記 986 国家にさせてはいけないこと
30代フリーター 「国家を変えていくこと」ではなく、「国家に何をさせてはいけないか」を考えるようになった、と三上治が書いていた(「世田谷村から」弐号、8月19日)。「国家の暴走をやめさせるのがさしあたりの課題だ」とし、「それは国家に戦争をさせないことだ」と言っている。
年金生活者 求められてもいないことをしては国民を圧迫する習性が国家にはある。その最大のあらわれが戦争だ。
国家の主要な機能は富の再分配にある。この場合の富は、所得や税、産業や生活のインフラだけでなく、軍事力や警察力も含まれる。だから、再分配とは単に富を右から左に移転させるだけでなく、国民の行動を代行することとしてとらえる必要がある。「代行」は国家を国民のコントロールから遠ざける作用をし、戦争はその結果がもたらす最悪の事態だ。
そうした習性を免れない国家の最終形態が近代の国民国家で、それは2度にわたって世界大戦を引き起こし、それに懲りてもなお長期の冷戦を続けた。そして、いままたおびただしい殺戮をウクライナとパレスチナで続けている。
30代 なぜ「国家に何をさせるか」よりも「何をさせないか」なんだ。
年金 これまで人類は国家に様々なことをさせてきた。国家を自らの代行者として扱ってきた。それが国家を「暴走」させた。AIやロボットの「暴走」というSFの世界が現実の歴史ではとっくに起きていた。ナショナリズムが各国に伝染し、強権支配への傾斜が強まる現在の世界で、「国家に何をさせないか」は最もリアルな課題のひとつになっていると言える。
30代 求められてもいないことをしては国民を圧迫する国家の習性の最大のあらわれが戦争だという主張には、たちまち異議が唱えられそうだ。かつて日本国民は真珠湾の奇襲攻撃に熱狂し、対米戦争を積極的に支持したではないか、と。
年金 たしかにその通りだ。だが、それはもとから国民が望んでいたものではなかった。その前史となった日中戦争は、現地での軍部の独断専行で始まり、政府はそれを追認した。国民が求めて始まった戦争とは言えない。ましてアメリカとの戦争を国民が望んでいるはずもなかった。
しかし、中国の激しい抵抗に遭って泥沼にはまり、米英などから経済包囲網を敷かれて孤立し、日本の外交的・軍事的な選択肢は狭まった。1941年の米国による石油禁輸は「資源が尽きれば立ちゆかない」という切迫感を国民の間に生み、対米開戦やむなしの世論が広がった。
そこへ真珠湾攻撃の「大戦果」が伝わった。選択の余地がないに等しいところまで追い込まれていた国民の切迫感はそれによって一気に解放され、それが熱狂となって噴出した。もうあとには引けないという気分が国中で共有された。
以上のように理解すれば、求められてもいないことをしては国民を圧迫する国家の習性の最大のあらわれが戦争だという判断を修正する必要はない。国家は国民の望まないことをするとき、それを強引に実行し、あとに引けば大きな負担を強いられる状況をつくるのを常套手段とする。
30代 自民党は憲法を書き換えて、国家にさせてはいけないことを解禁しようとしている。
年金 自民党が憲法改正を党是とし、ことあるごとに改憲を主張するのは、本気でそれを実行に移そうとしているからというよりも、この党是を党の結束を維持するための「象徴」として利用しているからだ。2009年に民主党に政権を奪われて下野したとき、憲法改正草案づくりに取り組んだことがそれを裏づけている。
議席が激減し、解体すら懸念された自民党は、改憲草案をつくるプロジェクトを立ち上げ、その遂行を通じて結束をはかった。それは成功し、改憲を最大の課題とする安倍晋三の「一強政権」を誕生させた。
改憲の党是が結束の「象徴」たり得ているのは、それが日本のナショナリズムに根ざしたものだからだ。「占領下で押しつけられた憲法」「日本の伝統や自主性を欠く」との主張はその表現にほかならない。
ただ、55年体制のもとでは、この党是を実行に移すことは封じられた。高度経済成長の推進には、解釈改憲による自衛隊の合法化と日米同盟の堅持で足りたからだ。それ以上踏み込むことは国民の反発を招くリスクがあった。
30代 それに対し、55年体制を構成したもう一方の極である日本社会党は「護憲」を党是とし、自民党の「改憲」の党是と同様に、それを党の結束を保つ「象徴」としたと言える。
年金 だが、社会党が民主党に吸収されたとき、9条の堅持は基本的な主張として引き継がれたものの、党是からは格下げされた。立憲民主党は民主党よりも9条堅持の主張が強固だが、党是とまでは位置づけられていない。
その理由は社会党の「護憲」が社会主義へ向かうステップとして位置づけられていたことにある。そのぶん「護憲」は手段の性格を帯び、自民党の「改憲」にくらべて重みが不足していたと言える。しかし、民主党、立憲民主党は「護憲」をイデオロギーから解放したとも言え、それは9条それ自体の価値を再発見する契機になり得る。