座付きの雑記 19 未就学シスターズ
10年以上前のことだが、3年間奥出雲町の幼小中で絵本の読み聞かせをしていた。何となく読んでみたくなって、5分で読み終える落語の読み聞かせ本を試しに読んでみたら、これが意外なことにウケた。絵がないにも関わらず。子どもたちにこれほど落語が受け入れられるとは思ってもみなかったので驚いた。後に高尾小学校で学校を挙げて落語をするようになるが、この時の経験がなければ絶対に思いつかなかっただろう。
4、5歳の子から、14、5歳までの10歳に及ぶ年齢差の中で読み聞かせを続けているうちに、ぼくの中に一種の経験則が形をなした。落語が理解できるのは小学3年生以上、というのがそれである。1、2年生までは、オチを言ってもポカンとされることが多かったので、避けた方がよさそうだというのがならいになった。小学校で落語を始めたときも、数年後には全校に広がっていったが、やはり落語そのものが1、2年生には難しく、ごく簡単な小咄ができれば十分だ、と考えていた。そもそも今とはかけている時間がちがうので、ぼくの経験則はすべて、学校の中ではという括弧づきなのだが、その当時は学校以外の教育環境を知らないので、まったくもって見えていなかった。
教育界には発達段階という考え方があって、生まれてから成人に至るまでの、人の心身の発達していく過程をふまえて指導すべし、となっている。至極まっとうな考え方であるが、ひとりひとり異なるのをもっとも多そうなところでくくっているので、個人差などは捨象されるほかない。集団を相手にする学校では、これを無視するわけにはいかない。
塾は学校とは異なり個人相手だということが、頭では分かっていても、なかなか腹に落ちていなかった。それが証拠に、落語教室に最初に入ってきたのは一年生たちだったのだが、ぼくがまず思ったのは、まいったなあ、だった。ところが、この子たちは二月もすれば堂々と高座に上がってしゃべるようになり、長い噺にも抵抗を示さなかった。
今、落語教室生の3分の1は幼稚園か保育園の未就学児である。看板は、とっくに「こども落語教室」に掛け替えている。ぼくがかなり強固に抱いていた経験則は度々修正を迫られ、あんまり年齢は意識しないでいいかな、と思うまでに至った。聞いて、自分にもできそうだと思う時点で、落語に取り組める段階に至っているのだ。
直近で入ってきた3歳児、4歳児の三人を未就学シスターズとこっそり呼んでいるが、この子たちもまた年相応なんてこと早速に吹き飛ばしてくれている。