人生の誰彼 33 65歳 無職

 60歳で定年退職後、まだまだ先だなぁと感じていた五年の再雇用期間が瞬く間に終了し、晴れて無職の身となりました。曲がりなりにも47年間、大雨の日も大風の日も大雪の日も律儀に会社に通った挙げ句、ある日を境に無職になるというのもなかなか壊滅的なことではあります。いつかはこの日が来るであろうことは頭の中では理解していても、実際そうなってみると心身が変化に追いつきません。

 よくネットの相談コーナーなどで「定年退職した夫が何する訳でも無く一日中ゴロゴロしていて鬱陶しい」みたいな奥様の愚痴を見掛けることがありますが、幸いウチの奥さんはフルタイムの仕事が5年も残っているので煙たがられることもありません。帰宅するまでの十時間、はてさてどう過ごしましょうか。

 それでも最初の頃は庭の草取り、掃除、洗濯、片付け、買物でお出掛けなどゴソゴソしている間に一日が終わっていたのですが、1週間が過ぎ2週間が過ぎしているうちに何だか昔のことが頭に浮かぶことが多くなってきました。きっと時間を持て余している脳ミソが勝手に回想を始めてしまうのでしょうね。

 何故だか真っ先に思い出したのが、長女が小学校に入学したときのことでした。当時苦慮したのが登校時間より親の出勤時間が早かったこと。共働きで車が一台しかなかったうえに下の子を保育園に連れて行かなくてはならないので余計に早く家を出なければならなかったのです。かといってホヤホヤの一年生を一人放っておくわけにも行かず、出した結論が原付を買って私が出社に間に合う時間ギリギリに娘を登校班の集合場所まで連れ添ってから出勤するという苦策でした。

 それでも集合時間には若干早くて、一人残されてべそをかきそうな娘の顔を今でも有り在りと思い出すことができます。ピカピカの一年生なのに寂しい思いをさせてごめんなさいね、と今更ながらに反省しても詮無いことですが悔悟の思いは消えません。ただせめてもの救いだったのが、放課後面倒を見ていただいていた学校近くの学童保育の女性の先生がとても優しくて良い方だったことでした。

 長女はその後、殆どのことは親に相談することもなくさっさと自分で決めて行動し事後報告のみで終わるという手のかからない子に育ちました。どうせ親は当てにならないと思われていたに違いないと、時の止まった爺さんはボンヤリ縁側から初秋の空を眺めるしか為す術はないのでした。