ニュース日記 979 無意識の民主主義
30代フリーター 先週、ジイさんが話していた鈴木健の「分人民主主義」は、1票を分割して投じるなど面倒な仕組みで、有権者にはきっと不人気だろうな。
年金生活者 そうした面倒くささを一掃する案が成田悠輔の「無意識データ民主主義」(『22世紀の民主主義』)だ。「インターネットや監視カメラが捉える会議や街中・家の中での言葉、表情やリアクション、心拍数や安眠度合い……選挙に限らない無数のデータ源から人々の自然で本音な意見や価値観」といった無数の「民意データ」をまず集める。それをもとに、人びとが無意識のうちにどんなことを求めているかを政策領域ごとにはじき出す(「エビデンスに基づく目的発見」)。そして、それらを達成するのに最適な政策を選ぶ(「エビデンスに基づく政策立案」)。これらの一連の作業はアルゴリズム(コンピューターによる問題解決のための計算手続き)によって行われる。成田はこの構想について次のように書いている。
《民主主義は人間が手動で投票所に赴いて意識的に実行するものではなく、自動で無意識的に実行されるものになっていく。人間はふだんはラテでも飲みながらゲームしていればよく、アルゴリズムの価値判断や推薦・選択がマズいときに介入して拒否することが人間の主な役割になる。》(『22世紀の民主主義』)
ふだんは天下国家のことなど考えず、自分や家族、近しい人たちの生活のことを第一に考えて暮らす存在として吉本隆明が想定した「大衆の原像」のあり方に、これまでで一番マッチする民主主義の構想が語られている。
30代 そんな民主主義が可能なのか。
年金 アルゴリズムはコンピューターを使って問題を解くときの計算方法だ。これを社会の設計に当てはめたのが、成田の描く「無意識データ民主主義」だ。「計算」によって社会を設計する考えはコンピューターが出現する以前からあった。その最大の思想が社会主義だ。
ソ連はそれを試みて失敗し、おびただしい人命を奪う惨事を引き起こした。計画経済は「計算」による「最適な社会」のつくり方のひとつだ。「計算」は机上でできるが、社会の構築には材料がいる。材料とは富であり、ロシアにはそれが決定的に不足していた。
しかし、ソ連共産党は、ブルジョア階級が独占する富をプロレタリアートに行き渡らせる仕組みをつくれば、計算通りの「最適な社会」の構築に必要な富を調達できると考えた。だが、資本主義の未成熟な、言い換えれば工業化の遅れたロシアにそれだけの富はなかった。
そこで当時の基幹産業だった農業の生産物を強制的に工業生産のための資金源にした。農民からの大規模な収奪は飢饉につながり、数百万ともいわれる餓死者を出した。
「計算」による「最適な社会」の構築は、富の稀少性がゼロにまで縮減しないと不可能であることをソ連の歴史は実証した。
30代 アルゴリズムという名の「計算」による「無意識データ民主主義」についても、それは当てはまるのではないか。
年金 ソ連の場合と違うのは、富の稀少性の縮減が当時よりはるかに進んでいることだ。だから、同じような悲劇が起きることはない。
だが、稀少性がゼロにならない限り、アルゴリズムの決定には、全員が少しずつ不満を持つか、満足する者としない者とに分かれるかのどちらかだろう。「無意識データ民主主義」の試みは、あっちにぶつかり、こっちにぶつかり、こっちで不具合を起こし、あっちで不具合を起こし、ときには国民に不利益をもたらすのを避けられない。
だとすれば、アルゴリズムにまかせっぱなしにするわけにはいかないということになる。そうなると、また現在のように、それぞれが自らの利益の拡大に向けて走り出す。そのための党派もできるし、旧来の選挙による決定を求める声も強まるだろう。
30代 結局あと戻りか。
年金 成田は「無意識データ民主主義」になっても選挙は残ると考える。ただし、選挙は数ある「民意データ」の把握方法のひとつに格下げされる。現在ほとんど唯一といっていい「民意データ」の把握方法の地位から転落する、と。
だが、アルゴリズムによる「最適な政策」の決定に不満が生じると、格下げされた選挙の地位を元に戻すように求める声が広がり、「無意識データ民主主義」は大きな揺り戻しに遭遇するだろう。
しかし、選挙が元の地位に復帰したとしても、選挙に対する国民の期待まで、かつてのような高さに戻ることは考えられない。大きな流れとしては成田の構想は前に進んでいくと予測できる。富の稀少性の縮減が大きな流れとしては止まらないように。また、西欧の市民革命から始まった近代の民主主義が、一進一退を繰り返し、犠牲をともないながら、現在の段階に到達したように。
30代 いつになるか見当もつかない。
年金 もしかしたら、先にネット上で実現するかもしれない。たとえば、バルファキスが「テクノ封建制」と名づけたGAFAMなどのプラットフォームで、市民革命に匹敵するような激変が起き、「テクノ民主制」とも呼ぶべき体制ができることが考えられる。