座付きの雑記 13 隠岐にて 2

 隠岐の暮らしは制約が大きい。わずか3日暮らして何が分かる、と言われたらそれまでだが、30年の時を経て、改めて感じたのは、制約は大きくなりこそすれ、ちっとも減じていない、ということだ。ことに時間と移動のそれを本土の感覚で思い及ばせることはかなり難しい。

 ぼくは一日前に隠岐入りしたが、こども落語の一行は公演日の朝のフェリーで現地入りした。朝九時美保関の七類港を発、隠岐の西郷港に着くのが昼前である。港からは、実行委で手配されたマイクロタクシーと実行委自ら運転手となっての送迎車が数台、これにレンタカーに乗るぼく自身も加わって、分乗して会場へと向かう。路線バスに乗るとか、タクシーをつかまえる、などそのいずれもあるにはあるが、どう見ても無理筋である。

 着くとすぐ、会場に隣接する会館で、実行委員手作りのサザエカレーとバイ(バイ貝)カレーを食す。大人もこどももおかわりをする。

 一時間半の寄席を終え、着替えを済ませた子どもたちのかっこうは、Tシャツに半ズボン、ではない。みながみな海水パンツにラッシュガード、気の早い子は浮き輪をふくらませている。実は、計画では「海遊び」としていたのだが、海水浴はできないのではないか、と実行委とは相談していたのだった。磯を散策する、安全なところで足を浸ける、などを想定し、隠岐だからと言ってどこででも泳げるわけじゃない、と言うタイミングを探っていたのだが、そんな言辞を弄する一分の隙も与えず、子どもたちは完璧な海水浴モードになり、はやる心を抑えつけるのに懸命である。

 未指定の海水浴場が宿泊先の近くにあるにはある。ただ、だれもそこの様子を知らない。とりあえず向かってみるが、危険と思われる場合は決して無理はしないように、と子どもたちには聞こえぬように保護者に伝え、賭けのようにして赴くしかなくなった。

 結果、賭けには完全勝利した。子どもたちが遊び回るに十分な広さ浅さで砂浜が広がり、人が来ないぶんだけ澄み切った、ゴミなど皆無の美しい渚が、西にぐんと傾いた陽光を柔らかく散らして一行を包み込んだのだった。ハマグリを拾った、魚を逃がした、ヤドカリをつかまえた、と見るもの触るものすべてにはしゃぎまわる子どもたち、大人たち。

 その後、ログハウスに戻ってバーベキュー。食材そのもの味と手の加わり方にだれもが、隠岐を感じ、口々に褒め称えた。すべてがうまくいって安堵しつつ、隠岐のおもてなしも、美しい海も、おいしい料理も、すべては制約と引き換えなのだな、と思った。