老い老いに 39
2000年10月6日に起きた鳥取県西部地震はマグニチュード7.3。日記には記載が続く。
10月8日「今朝は6時過ぎに揺れた。一日家で待機。…(中略)…夜九時頃大きいのがあった。西伯で5弱だから伯太も大きかっただろう」
10月9日「雨である。どうかなと思って出勤したら、ちゃんとビニールシートが割れ目に罹っていた。管理職+主任さんのようだ。町へ出て様子を見た。道路わきが壊れたり、瓦がズレて落ちそうだったり、ガラスや壁が割れたり壊れたり。やはり大変な様子。保育所は修理不能。井尻までいかねばならないとのこと。午前中揺れは2、3回。でも、こんな中で勉強できないだろうと、明日一日臨休措置に」
10月10日「午前中家で待機。12時に家を出た。学校はやはり余震で揺れる。地震かなと思ったのだけで5、6回はあった。…(中略)…10時前にまた地震。マグニチュード4.6。震源地は島根県東部というから伯太あたりか。米子、境港、西伯で四というから伯太もだろう。瓦が落ちてないかなあ。明日はじまるけど心配だ」
余震が怖くて、同僚の校務技師さんは相当な期間車の中で夜を過ごされた。地震当日、お孫さんの世話が必要となって休みを取り、寝かせた隣で横になっていたところ、突然の揺れで二人の枕元にテレビが落っこちてきたのだそうだ。その時の恐怖が消えないのだという。
夕焼け通信351号、10月9日の編集後記にはこう書かれている。「今も余震が続いています。だんだんと間隔が開いてきたので、このまま終息に向かうかと思ったら、日曜日にちょっと大きい揺れがありました。そのあとまた余震が頻発しています。…(中略)…静穏だった50年が終わり、西日本は地殻の活動期に入ったと言われます。たまたま静穏期と高度経済成長が重なったために今の日本ができたということらしいです。少々無理してもつくるってことでこれまでやってきたわけですが、これからはこわれるかもしれないからと考えて、なるべく無理しないっていうのがいいかもしれませんね」
南海トラフを控え、日本中いつどこで地震や大災害が起きるかしれないというのに、使用済み核燃料の処理さえままならない中、原発の再稼働が進み、耐用年数を60年にまで引き延ばそうとしている。これって、少々どころか相当の無理、いや無謀ではないのだろうか。