老い老いに 38
夕焼け通信8年目、私は次の赴任先で新設された情緒障害児学級の担任となった。信頼関係を築くまでが大変なことは前々任校で経験している。けれども、全く違うタイプの子を相手にどう接するのが良いのか試行錯誤で、ぐったりして帰る日々だった。家では特に長男に手を焼き、そちらに目を向けると、今度は二男がストレスを溜め、悩み続ける毎日。日記を読み返すと、忘れていたことが蘇る。そんな中、ちらちらとニュースも短く記載している。
5月3日「今日は高速バスの乗っ取り事件が起こった。若年の犯罪が目立つ」 5月6日「市長が亡くなった」 5月15日「昨夕小渕元首相が亡くなった。すごいストレスだったんだろうな」 6日に亡くなったのは当時現職だった宮岡松江市長だ。突然のことで驚いた。
災害のことも記録されている。9月12日「秋雨前線が各地にひどい被害をもたらしている。愛知や静岡は床上浸水でひどいらしい。交通もストップ」 9月13日「朝、新聞をみると、宍道中の修学旅行は大阪で足止めをくらったそうな」 そして、あの日の日記は長い。
10月6日「今日は大変な日だった。昼過ぎまで順調だった。昼休み、外へ出て、相撲を見たりケンちゃんを追いかけたりしていた。一時半ちょっと前、突然地面が揺れた。何だという軽い気持ちと、もしやこのまま地球が終わりになるのではと、両極端だった。ちょっと収まると、皆校庭の中央に向かった。ケンちゃんを誘導し、キョウちゃんを連れに行った。校舎が倒れてくるような気がした。放送があり、皆校庭に避難。いつもの訓練より早かった。夕方までずっと子どもたちを校庭に置いて迎えを待った。余震が頻繁で、体育館のガラスがすごい音を鳴らした。足洗い場もあちこちひびが入り、中学校の校庭は水道管破裂で水浸し。校舎内あれこれ壊れ倒れ大変。やっと夫に電話がつながり、道が通れなくて帰れないかもと。家では皆無事だって。6時前に母里を出たが、出るまでよく揺れた。松江は平穏。しかし、今夜が心配」
10月7日(抜粋)「昨夜、わかさ会館に避難した子が7人。家に入れそうにない子一人、あとは余震がおさまらないと家の中が片付かない子たち。学校にいると、すごく揺れる。震度3、4くらいが何度も。あんな中で夜を過ごすのは大変だ。松江とは別世界」