老い老いに 34

 1999年度の夕焼け通信には、Y氏の「当たらずとも遠からず」の連載が長く続き、K・AさんやT・Hさんの詩も度々掲載された。K・Aさんは「世紀末」というタイトルで、ノストラダムスの予言を取り上げた詩も寄せてくださった。前年の11月に松江市プラバホールで行われた平沢保治氏の『人生に絶望はない❘ハンセン病一〇〇年のたたかい❘』と題した講演会の講演録が連載され、この年の11月に行われた難民緊急支援横田集会『東ティモールに自由を!スピーキングツアー‘99』と題したミカ・バレト氏の講演録があとに続く。前年から投稿のあった関釜裁判❘元「従軍慰安婦たちの戦い❘の経緯がT・Tさんから寄せられ、「看護・今、むかし」のM・Nさんも、度々原稿を送ってくださった。

 講演会、上映会、学習会、作陶展、公開講座、写真展、集会等の案内は、前年以上の多く紙面を飾った。それは、Y氏や編集長が関わる人の輪が広がり、動きがさらに活発になったことの表れだ。

 この年、新たに投稿くださった方々がいる。大阪のUさん。「オンリー・ワン」というタイトルで、過去から現在に至る様々な出来事を「大阪のおんな」の目で捉え、25五回にわたって綴ってくださった。益田出身で、岩手に移り住むようになったY・Yさんからは、「タイマグラ便り」が届く。アイヌ語で小さな流れの多いところという意味を持つタイマグラという地での暮らしぶりが綴られている。「出雲弁時評」は、出雲のK・Mさんから。方言の話題を面白おかしく書いて下さった。

 そして、「漫画道楽記」が連載される。これまで夕焼け通信のためにカットを寄せていただいていたM・Iさん。文章も寄せていただくことになった。たくさんの書き手が夕焼け通信に様々な形態で投稿してくださったが、現在まで送り続けて下さっている希少な方だ。四半世紀以上夕焼け通信と関わってきたいわば同志である。今でも、M・Iさんの文章が掲載されると真っ先に文字を追ってしまう。時にくすっと笑わせてくれる、読んでいると肩の力がすっとぬけていく魅力的な文章なのだ。

 ところで、この年の9月13日は300号の記念号で、寄稿を募っている記事は目にするのだが、不思議なことに、私の綴りに300号は存在しないのだ。はて?