ニュース日記 967 未来の倫理
30代フリーター AIの進歩で生じる倫理上の問題として、責任の所在の曖昧化▽差別の再生産▽プライバシーの侵害・監視社会化▽経済格差の拡大▽人間の主体性の低下などがあげられている。
年金生活者 それらはどれも従来の問題の延長線上にあるものだ。AIに固有の倫理上の問題が本格的に問われるのはもっと先のことになるだろう。
「先のこと」とは、AIの飛躍的な進歩で、ほとんどのモノやサービスが自動生産され、無料で供給されるようになったときのことだ。それはこれまでの人類史を支配してきた富の稀少性がゼロになった状態、欠乏が消失した状態を意味する。
吉本隆明は前世紀の終わりに、資本主義の高度化にともなう消費の過剰化で「欠如」を前提にした倫理が危うくなり、それに代わる新たな倫理が求められていると指摘した。
それがさらに進んで、モノやサービスが自動生産され、働かなくてもそれらを手に入れられるようになった状態は、吉本が資本主義の後の社会として想定した「個々人が、いかように自由にふるまっても、相手の自由を侵害しない、優劣というものが生じない社会」(『超「戦争論」下』)に近づいた状態ということができる。そこでは、自由を守ることも人権を尊重することも、少なくとも経済レベルでは解決済みの課題となる。
そうなったとき、倫理上の主要な課題は別のところに移る。吉本が晩年に提起した「人間の『存在の倫理』」はそれに応答しようとしたものかもしれない。
30代 「存在の倫理」というのはわかりにくい言い方だ。
年金 人はこの世に存在してしまったことそれ自体によって、自己と他の存在に必ず影響を与えるので、それによる責任は免れない。それが吉本の説明するこの倫理の意味だ。仮に自由や人権が十分に守られる社会になり、それらが倫理上の課題から外れたとしても、おのれの存在自体によって生じる自己と他者に対する責任は残るという意味に受け取ることができる。どんな社会になっても残る倫理、したがってあらゆる倫理の基礎に据えられるべき倫理、「倫理の倫理」「最後の倫理」とも言うべきものとして、とりあえず理解することができる。
30代 キリスト教では「7つの大罪」として「傲慢」「強欲」「嫉妬」「憤怒」「色欲」「暴食」「怠惰」があげられている。「傲慢」には「謙虚」が、「強欲」には「施し」が、「嫉妬」には「労り」が、「憤怒」には「忍耐」が、「色欲」には「貞節」が、「暴食」には「節制」が、「怠惰」には「勤勉」が対置されている(『実用日本語表現辞典』)。
年金 それらはいずれも「欠如」を前提にしている。言い換えれば富の稀少性が生む悪徳および美徳だ。限られたパイの奪い合いが続けば、たくさん奪って威張る「傲慢」、不足を恐れる「強欲」「色欲」「暴食」、その反動としての「怠惰」、奪い去る者への「嫉妬」「憤怒」が生まれる。「欠如」を埋めれば、それらは消滅するが、現実には不可能なことなので、代わりに美徳を対置し、悪徳を抑えようとする。
だが、そうした悪徳を生んでいた富の稀少性は資本主義の高度化によって急速に縮減し、AIの進歩によって、将来は稀少性がゼロになる時がくる可能性が出てきた。そうなると、それらの美徳は根拠を失う。そのとき、「欠如」を前提にしたこれまでの倫理は「充足」をもとにしたものに変わらざるを得ない。その兆候を若い世代の倫理観に見ることができる。
30代 それを示すデータはあるのか。
年金 電通が2021年7月に、12カ国(日本、ドイツ、イギリス、アメリカ、中国、インド、インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイ、ベトナム)を対象に実施した意識調査によると、日本の若年層(18~29歳)が関心のある社会課題としてあげたもののうちトップは「人種差別」の47%で、「経済停滞」の18%を大幅に上回っている。日本全体の平均では「人種差別」も「経済停滞」もともに38%だったのに比べると、経済的な利害よりも人間の尊厳を重んじる若年層の傾向はきわだっていると言える。同様の傾向は他の調査項目にもあらわれていて、「気候変動の影響減のため、肉よりも野菜中心のメニューを選ぶ」は全体では27%だったのに対し、若年層では41%におよんでいる。
「人種差別」が若年層が関心を持つ社会課題のトップになったのは日本のほか、ドイツ、イギリス、アメリカで、先進国の共通の傾向となっている。資本主義の高度化とともに富の稀少性が縮減し、他国に先駆けて貧困を脱した結果と見ることができる。若い世代は生まれたときから、明日の食べ物を心配する必要のない環境に育ち、生存の維持よりも、それを超えた課題に関心を寄せる傾向が明瞭と言える。
調査結果は、富の稀少性、言い換えれば「欠如」を前提にしたこれまでの倫理がゆらぎ、「充足」を前提にした新たな倫理に取って代わられる未来を暗示するデータとして読むことができる。
30代 その新しい倫理は、何を善とし、何を悪とすることになるのか。
年金 来週それを考えよう。