座付の雑記 4 リノベーション
引っ越して一月が経とうとしている。夜中ふと目が覚めて、「ん、ここはどこかいな」とすぐには分からぬ時があって、まだどこかよそに来ているような気持ちが残っているが、だんだんと慣れてきてはいる。自分が育ち、また一時は二世帯で暮らしたこともあるところなので、新しい地に移ることを思えば、ずいぶんと気が楽だ。
両親が他界し、実家を引き継いだとき、いずれはここに住むのだ、とは思わなかった。更地にして売り、どこかに新しく建てるか、マンションを購入するか、それともずるずると賃貸に住み続けるか。ぐずぐず考え続けたが、結局そのいずれにも踏ん切りがつかなかったのは、幼いときに繰り返し聞かされた母親の言葉が思考や行動を規制しているからだった。
「おじいさんがうちの山のいちばんいい木を出いてごした。親戚がどげん反対しても頑として聞かんだった」
聞く度、山仕事をしていたり、囲炉裏端で柴を折っている祖父の姿が重なった。
この人たちに依頼しようという建築士夫妻が見つかったとき、ぼくは、実家を解体して新築するとしたら材は再利用できるのかと聞いた。
「できません」
きっぱりと廃材になるしかないと聞くと、リノベーション以外に選択肢はないと思えた。松江の里山で育ち、炭素を閉じ込めたまま60年家族を支えてくれた木をぼくがただの二酸化炭素にして放出したとあっては、両親や祖父母に申し開きができないと考えたのだ。問題は、かなりの歪みが生じた家がリノベーションに耐えられるかどうかだったが、他社が新築の一択のように言ってきたところを夫妻はむしろ遺す方に興味を示してくれた。
いざ、工事が始まってみると、それが大変に手間のかかることで、リノベーションなんて、と歯牙にもかけなかった業者の言うことももっともだったが。
下見に来た棟梁は、「年寄りの大工集めます」と言った。聞くと、若い大工には無理だと言うのだ。一つ一つどういう細工になっているか見て取ってそれに合わせて作っていかないといけない。そういう仕事は経験のある年寄りにしかできないということだった。ぼくは少し臆して、
「それはおもしろいことでしょうか」
と遠慮がちに聞いた。棟梁はにっこり笑って、
「はい。おもしろいです」
と言った。絶えるほかない技術にぎりぎり間に合ったのだと思った。