がらがら橋日記 水の都の水曜こども寄席
2週続けてで恐縮だが、宣伝をさせていただく。松江歴史館で毎週水曜日午後3時30分~4時30分、「水の都の水曜こども寄席」と銘打った寄席を開いている。もっともこれは、3月までの限定で、その先も続けられるかどうかは未定である。幾分か稽古的なところも含んでいて、子どもたち同士で意見を言い合ったり、私が助言をしたりする。ただ、これがおもしろかったりする。
ある女児が小咄をする中で驚く場面を演じた。高座を下りて、その場にいる子どもたちに気づいたことを伝えるように促すと、ある男児が言った。
「驚くところをもっと大きくした方がいいと思う」
これは、状況から言って男児の言うとおりで、現実にはあり得ないことが起こるのだから、ただの驚きようでは説得力に欠ける。
「じゃあ、どうすればいいと思う?」
と返すと、「うわっ」と言いながら観客席の上で飛び上がるような仕草をした。よく見えなかったので、高座に上がってしてみてくれないか、と言うと男児は、何ら躊躇することなく上がっていくと、ぼくのセリフに合わせて、「わっ」と叫んだ。着物の裾がまくれて、二本の細い足が剥き出しになって天井に向かって伸びている。勢い余って後ろにひっくり返ったのである。観客席がドッと沸いた。子どもたちも、保護者も、お客さんも一斉に笑った。この日いちばんの爆笑をさらったのは、男児のアクシデントに限りなく近いこの演技だった。
「すばらしいけど、それは女の子にはできないかもねえ」
みんなそんなことを言いながら笑い続けた。男児は頬を紅潮させて高座を下りたが、恥ずかしがるふうもなく、思い切ってできたという高揚感を、浮かべた笑みに残していた。
人前で落語をする、つまり演技するには恥ずかしさを捨てるしかない。しかし、言うは易しでそう簡単ではない。場数を経て、徐々にだれも捨てられるのだが、どこかにきっかけは必要だし、捨て方も深浅様々で、いつまでも捨てきれない子だっている。男児がひっくり返ったのは、だれにとっても、自分の中の恥ずかしさに向き合う契機になったかもしれない。こんなやりとりが一年生と幼稚園の子どもの間に起こるのだから、高座の上も下も実に楽しいのである。
毎週同じ時間にできるというのは、何ともありがたい。ついにここまで来たか、とつぶやいてみたいが、それは先々が見えている場合の言葉。右往左往しているうちにそうなっていたぼくには使えない。
