老い老いに 23

 1997年の4月から私が連載したのは「わんぱく物語」。今年が年男である二男のわんぱくぶりを綴った。娘が「宗には困るわ」と、二男のことをよくこぼすが、「宗ちゃんなんか可愛いもんだわ。雄二が宗ちゃんくらいの時は、そんなもんじゃなかった」と、いつも比較に出されるのが我が二男。職員旅行に連れて行った際、「雄二君、命がいくつあっても足りないね」と言われるくらい、崖に上り、淵を歩き回り、ひと時もじっとしていなかった。

 その連載が終わる頃から始めたのが「沖縄平和ツアー」。夏休み前、平和ツアーの企画を耳にした。ただの観光ではなく、平和学習の旅だ。中学生の娘はすんなり納得してくれた。息子たちにも説明はするが、どこまで分かっているやら。まあ、飛行機に乗って、南国気分が味わえる沖縄というところに身を置くだけでいいかと親子5人での参加を決めた。

 三家族を含め総勢15人のツアー。実際に行ってみると、あまりに濃厚な時間で、書き残さねばならないと思った。真っ暗な壕(ガマ)の中で聞いた衝撃的な話は今でも耳の奥に残っている。広大な基地では戦闘機がタッチ&ゴーを繰り広げる。そこが見える丘の一画に追いやられて暮らす地元住民たち。基地を取り囲むのは猛毒を有するという夾竹桃、防衛庁が張り巡らしたフェンスの中で不気味に佇む象の檻、反戦地主Ⅰさんの牛舎で聞いた話…。

 行く先々で頭が重くなるような話を聞く一行の中に、我が子含め子どもが六人。大人の都合だけで引き回すのは可哀そうだと3日目には海遊びが入れてあった。「え、ここハワイ?」と言ったのは二男と同い年のT君。早い時刻の海水浴で、ビーチは貸し切り状態。そこで丘ヤドカリを集めたり、島に上がったりして沖縄ならではの一時間を過ごし、子どもたちは大満足。大人たちも飽和状態の頭を休めることができた。前夜、ひめゆりの証言を涙して聞いた娘も、那覇の街中をバスが走ると、「沖縄アクターズスクールってどこにあるかなあ」と呟く。憧れのスターたちが育ち、芸を磨かれた地にいることに満足しているようだ。

 旅が終わり、子どもたちに感想を書かせると、わんぱく坊主はこう書いていた。

「びゅ~とおとがしてせんとうきがきました。どんどんおとが大きくなってきました。でも、うしはむしみたいにもうもうといってきいていませんでした。うまもです。ぼくはふしぎだとおもいました」。