老い老いに 22

 200号に寄稿いただいた方の中で、次の号からも文章を寄せてくださった方がおられる。書くことによって裡にある何かが刺激され、次から次へと湧き出て来たのではないかと思う。

 その中で、若い頃から文章を書き続け、当時は図書館で仕事をしておられる方は、本にまつわることを連載、長く教育現場におられた方は教科書問題について数回寄稿された。そして、独自の教育理論を持ち、教育のみならず様々な問題を積極的に発言している方は、最後となる文章を夕焼け通信に届けてくださった。今に至る社会全体の問題を様々な観点から考察し、綴られたのだ。その胸の裡にあるのは何百倍、いや何万倍もの思いだろうと察せられる。亡くなられた後で私たちが目にすることになった文章を掲載する。

『子どもたちは地球の閉塞状況を肌で感じています。イデオロギーの崩壊・教育の崩壊・環境の崩壊…すべての崩壊現象を身体で感じながら生きています。管理を強化すれば教育が徹底する…と考えるのは、教育の放棄につながる思想です。自主・自律・自立・民主・教育の主人公は子ども…どれだけ御託を並べて言ってみても、それがウソであることは、子どもが一番よく知ってします。教師が「子どもは競争させなきゃ勉強なんかしませんよ!」という信念に支えられている限りは…ね。』

 その方が皮肉を込めて書かれた蛙の安楽死という話。いきなり熱い湯に放り込まれたら蛙は飛び出してしまうが、水からだんだんに温かくしていくと、気づかないまま死んでしまうという。それは、私たちを取り巻く様々な事柄を象徴している。地球温暖化の警鐘が鳴り続いているにもかかわらず、人々はその日を快適に過ごすために電気も水もふんだんに使い続けている。安くて丈夫だということで暮らしのありとあらゆるところで使われているプラスチックが今や地球環境に様々な悪影響を及ぼしている。有名大学への合格、大企業への就職などで将来が約束される社会ではなくなっているにもかかわらず、お受験に熱を注いでいる現実などなど。

 この発信を改めて重く受け止めた。しかし、同時に30年を経て何も変わらない、いやさらに深刻になっていることにも気づいてしまう。この現実に私たちはどう対峙していけばいいのだろうか。