ニュース日記 953 AIとの対話

30代フリーター 「チャットGPT」などの対話型生成AIとやり取りしていると、人間を相手にしているような錯覚に囚われる。質問に対する応答はなめらかで、こちらが何を知りたかったかを逆に教えてくれているようにさえ思え、利用者に対する配慮やマナーを感じる。

年金生活者 実際はAIには配慮もマナーもない。それどころか言葉の意味さえ理解していない。ソシュールの用語を使うなら、シニフィエ(言葉の意味)とは無関係に、シニフィアン(言葉の音や形)だけをもとに文章をつくる。大量のデータから得た文章のパターンなどに基づいて、ひとつのシニフィアンの次に来るシニフィアンを確率論的に予測し、言葉をつないでいく。

 その文章に「人間性」を感じるのは、それが何かを意味しているからではなく、意味を欠いたシニフィアンの連鎖が、読む側の心の位置と向きを決めるからだ。その作用を吉本隆明は自己表出と呼んだ。その「無意味」な作用が文学を創造する。谷川俊太郎は「意味を引きずる言葉を、どう無意味に近づけるか。それが詩の問題なのだと僕は思っている」と語っていた(2024年11月19日朝日新聞夕刊)。

 AIが詩や短歌や俳句を作ることができるのも、意味を存在しないものとして言葉をつないでいくからだ。ただし、できた作品を鑑賞できるのは人間だけであり、AIにはできない。シニフィアンによって位置と向きを決定される心を持たないからだ。三木成夫によれば、心は内臓を土台にしている。AIには身体がなく、したがって内臓もない。

30代 AIが人間のような文章を書けるのは、人間の言葉にAIの仕組みと似たところがあるからではないか。

年金 AIの文章のつくり方はダジャレに似たところがある。シニフィエ(意味)を無視し、シニフィアン(音と形)の共通性によって言葉と言葉を結びつけるのがダジャレだ。それは、AIが言葉の意味とは関係なく、シニフィアンの共通性や差異によって言葉の連鎖を構成して文章をつくるのと構造としては同じだ。

 これは私たちがふだんやっている連想に似ている。たとえば、猫を思い浮かべると、次は猫のことではなく、猫好きの知り合いを思い出し、その知り合いがうどん屋をやっていたりすると、飲食店を窮地に追い込んだコロナのことを思い浮かべる、といったぐあいだ。これはシニフィアンが言葉の意味(シニフィエ)とは無関係につながっていく性質と似ている。

 AIはその性質を利用して文章をつくる。ただし、アルゴリズムと呼ばれる一定の規則に従ってつくるので、できた文章は一般性、普遍性を帯び、「正解」に近いものになる。つまり人間のような「デタラメな」連想はできないだろうということだ。

30代 試してみたのか。

年金 「チャットGPT」にできるか尋ねてみた。すると「人間のような自由連想のプロセスを模倣してみますね」と言って、「猫」から始まって「海」に行き着く次のような連想をしてみせた。

1.:可愛い動物で、柔らかい毛並みが気持ち良いですね。

2.猫好きの知り合い:そういえば、猫好きな友人がいました。彼はよく猫の写真をSNSにアップしていました。

3.SNS:最近、SNSで見た美しい風景写真が思い浮かびます。特に秋の紅葉が見事でした。

4.紅葉:紅葉を見に行くと、つい秋の味覚を楽しみたくなります。例えば、栗ご飯とか。

 あとは省略するが、これが10まで続いている。文章は論理的に構成され、そのぶんデタラメさが薄いものになっている。「模倣」はデタラメになれないということだ。

30代 言葉についての常識をAIはくつがえしたとも言える。

年金 吉本隆明もジャック・ラカンも、言葉の本質を意味の伝達と考えることに異議を唱えた。意味を欠いた作用、吉本なら自己表出が、ラカンならシニフィアンが言葉の根幹をなすと考えた。意味を理解しないまま言葉をつないで文章をつくるAIはそれを実証した。

 古典派経済学やマルクスは、商品の本質を使用価値にではなく、交換価値に見出した。商品はその使用価値とは無関係に交換の連鎖を形づくる。交換さえできれば使用価値は何でもかまわない。

 そうした商品のとらえ方を吉本は自らの言語理論に応用した。指示表出は使用価値に、自己表出は交換価値に相当するものと考えた。指示表出は言葉の意味を伝え、自己表出は言葉を発する側と受け取る側の心の位置と向きを決定する。写真にたとえれば、前者は被写体であり、後者はアングルだ。写真を写真以外の何ものでもない存在たらしめているのはアングルであり、その意味で被写体は何でもかまわない。

 ラカンは「シニフィアンはシニフィエと何の関係ももたない」(『アンコール』)と言った。それは商品の交換価値は使用価値と何の関係ももたないと言うのと同じだ。言葉の連鎖を形づくるのはシニフィアンであり、そのさいシニフィエは何でもかまわない。

 AIが言葉の意味を理解できないのに文章を書けるのは、吉本やラカンが明らかにした言葉の本質にしたがっているからだということに私たちは気づく。