がらがら橋日記 ラテンナイト
ラテンナイトなる催しに我が落語教室も参加した。松江でラテン音楽教室を主宰している先生たちが声をかけてくれた。サルサ、フラメンコは分かるが、そこに漢字で「落語」が並んでいいのかと疑問だったが、ラテン音楽を習う子どもたちが何人か落語にも来ているので、子どもの中では平気で共存しているのだろう。ジャンルなど子どもにとってはどうでもいいことなのだ。
サルサとフラメンコとそれぞれを踊ってみるコーナーがあり、合間に落語教室の子どもたちが小咄を披露した。落語をするまでは特にすることもないので、ぼくも踊った。
踊りに関しては、ぼくは長く鬱屈した思いを抱えている。小学校の時、時折体育でダンスをやらされた。当時は「リズム」と呼ばれていた。リズムになると決まって、ヘルメットみたいにきちんと切り揃えたおかっぱ頭のYというベテラン女性教師が指導した。バチとタンバリンを手にしたY先生が講堂に現れると(体育館ではない)、それだけでぼくは完全に萎縮し、錐で刺すかのような視線と指示、耳を聾するタンバリンの音にひたすら怯えた。
「八呼間右へ!」
「次の四呼間で回って!」
今でこそ漢字で書けるが、ぼくはずっと「こかん」が何を意味するのかわからなかった。ビンタを浴びているようなタンバリンの音に合わせて動くこともとても難しかった。できることと言えば、前や隣の子を見て真似を試みることしかなかったのだが、当然テンポが遅れる。尻尾を尻にはさんだ迷い犬が、逃げ場を失ってびくびくおろおろと足踏みしているようなかっこうで、ただただ終わるのを待つ。
Y先生は、ぼくをしかったりはしなかったが、慰めることも、やる気にさせるために言葉をかけることも、何もしなかった。タンバリンの音で指示通りに動く大多数の子どもたちがよりきびきびと動くよう、短く鋭く無駄のない言葉を発し続けた。
前で踊るサルサの先生の動きに合わせて、ステップや手の動きを真似る。踊りはダメという自覚が小学校で深く根付き、以来反射的に避けていたから、やはり今も踊れない。でも、それでもいいのだと思えるようになった。ずいぶんと時間がかかったが。
「先生、いいですねえ。上手!」
サルサの先生が笑って褒めてくれた。動きがよかったからじゃない。じじいが照れもせず踊っていたからだ。おかげさまでとまでは言わないが、「リズム」とY先生のお導きにはちがいない。