老い老いに 15
夕焼け通信3年目の1995年が暮れ、1996年が始まってすぐに、村山富市内閣から橋本龍太郎内閣に移っている。その2月、将棋の羽生善治さんが七冠を達成。将棋をかじり始めた二男が「大きくなったら羽生になる」とよく言っていたっけ。前の年にウィンドウズ95が出てからウェブサイトが急速に増え、1996年3月から1年で9倍近くにまでなっている。ポータルサイトYahoo!JAPANの登場もこの年からだ。今なお子どもたちに大人気のポケモンもこの年から。そして、女の子たちの間ではミニスカート、ルーズソックスが流行り、アムラーが溢れた。中学生になっていた我が娘も、何がいいのかだぼだぼのソックスを履き、カラオケに行くと沖縄出身の安室奈美恵の歌を熱唱していた。その沖縄では、やはりこの年も悲劇が起きている。6月、名護市の女子中学生が二人拉致殺害されたのだ。続いて各地で腸管出血性大腸菌O157による集団食中毒事件が発生。死者や後遺症患者を出したこの耳慣れない菌は、世の中を震撼させた。悪いことばかりではない。この夏に開かれたアトランタオリンピックでは有森裕子さんが女子マラソンで銅メダルを獲得している。
そんな中、4月27日に隠岐を訪問し、講演会でお話しされた伊藤ルイさんが、2ヶ月後の6月28日に満74歳で亡くなられた。夕焼け通信には、隠岐文化会館で行われたルイさんの講演録が掲載され、その後、編集長とYさんは、福岡で行われた「みんなでルイさんを送る会」にも参加。ルイさんの追悼文も寄せられ、夕焼け通信に掲載された。
そのルイさんが、病床で語られた口述筆記が、劇団「たいよう」のYさんに届いたのは6月半ばのこと。「『かっぱの笛』舞台稽古最高でした。演出者と演技者の呼吸の行き交いがとても豊かな雰囲気で、これこそが最高の芸術劇場、ステージだと思いました。有り難うございました。」
ルイさんに絶賛された劇団「たいよう」による『かっぱの笛』、この年の9月に本土松江の八雲しいの実シアターで公演することになる。