老い老いに 10
夕焼け通信が始まって2年目となる1994年の年が暮れ、1995五年に改まって半月ほど経った1月17日の早朝5時46分。夫に起こされ地震だと気が付き、傍に寝ていた二男を抱え込んだ。どれくらい続いたのか、揺れが収まったところで夫がテレビをつけると時刻は5時50分。しばらくしてニュース速報が流れ出した。東海地方、次いで北陸地方に地震・津波に注意とのこと。山陰でも揺れを感じたこの地震は、マグニチュード7,3、震度7という、東日本大震災が起こるまで戦後最大の自然災害となった阪神淡路大震災だった。神戸、西宮、芦屋などの大都市、淡路島を中心に大きな被害に見舞われ、犠牲者は6,434人に上った。尼崎にいる伯父夫婦、従弟夫婦のことが気にかかり連絡をするがなかなか繋がらない。九州にいる従妹に電話をすると、伯父たちは茨城に行っていて、従弟たちも無事だとのことだった。それから連日震災関連の記事が新聞紙面を埋め、テレビ報道も続いた。知り合いにも親戚が被災したなどと聞き、地震の恐ろしさを身近に感じる大災害だった。
夕焼け通信には編集後記にこう記されている。『「関東大震災の教訓が何も生かされていない」朝日新聞に作家の吉村昭氏が憤りをこめて書いております。関東大震災で類焼の媒体などになって災害を拡大させてしまったのは大八車。今回も自動車が救援を阻みました。教訓を生かすことは難しい、しかし、生かさなければ何のための犠牲であったかということになります。』Aさんは、次のように書いている。『(前略)今回のように自分の身体で地震を感じ、その体感した地震で大きな被害が出たとなると、被害実態も身近なものに感じる。と同時に、都会の真ん中で災害が起こっているのを見ると、いかに私たちの社会構造が自然災害にもろいかを痛感させられる。(中略)日が経つに従って、情報伝達、報道、交通、援助など、あらゆる面でいろんな問題も指摘され始めている。それらは、是非今後の防災のために役立ててほしいものだ。被災地の一日も早い復興を願っている。』
あれから30年、地震のみならず、猛暑、豪雨豪雪等々自然災害は人知を上回って年々激しくなっている。経験したことのない事態が襲いかかる中、なすべきことは何なのだろうか。