人生の誰彼 25 そして、神戸

 

 毎年、旅行がてらに神戸に住んでいる娘一家に会いに行くのを楽しみにしていたのですが、先だって夫くんの転勤で外国へ移住してしまったので、残念なことにこれからはそれもできなくなってしまいました。地理的にはそう離れてはいませんが、今までのようにちょいと車で、と言うわけにはいかなくなったのです。

 特に、この6年間は孫娘に会えるのが待ち遠しくてなりませんでした。大袈裟に聞こえるかもしれませんが、孫は一人しかいないのでポッカリと心に穴が開いてしまったような虚しい気分です。きっと妻も同じ心境に違いありません。

 そもそも私たち夫婦が年に数回の神戸通いをするようになったのは、今から18年前に娘が神戸近辺の大学へ通うことになったのがきっかけでした。それから2年後に息子も同じ地域の大学へ入学することになり、島根のお土産や日用品などを持って定期的に2人の様子伺いに行くのが恒例となったのです。高速道路を利用すれば車で片道4時間ほどなので、苦になる距離ではありません。

 娘は片付け上手のキレイ好きなので何の心配も無かったのですが、息子のほうは野郎独り暮らしのご多分に漏れず、散らかし放題の部屋の整理やデロデロになった風呂場などの水周りの掃除をするのも目的のひとつでした。その後、息子は地元に帰りましたが、娘はそのまま残って就職して同じ会社の人と結婚し、子どもを授かり神戸市内に一家で住んでいたのです。

 コロナ禍の一時期を除いて、18年に渡り毎年あれこれ準備をして子ども達に会いに神戸まで車を走らせることは生活の一部になっていました。普段は城下町の狭くて入り組んだ道路しか車を運転する機会のない田舎物にとって、神戸市内の広大な五車線道路を走行することは新鮮な感覚に溢れていました。彼の地のドライバーの運転マナーは悪くなくて今まで怖い思いをしたことは一度もありません。市内には人気スポットも数多くあり、限られた時間の中で観光も楽しみました。そんな神戸の街は私たちにとってかけがえのない思い出の地となったのです。

 過日、連休を利用して海外に旅立つ前の娘一家に会いに行きました。孫娘が種を蒔き発芽させた『ペコちゃん』と名付けられたオジギソウがあったのですが、移住先には持って行けないので我が家に持ち帰ることになりました。毎朝水をあげて日当たりの良い窓辺に出して成長を見守っています。では、皆さんお達者で。