ニュース日記 939 戦争のあとの世界

30代フリーター ガザへの攻撃を続けるイスラエルが、ハマスと共闘するヒズボラを標的としてレバノンへの大規模空爆を開始したと報じられている。「事実上、全面戦争」との見方も伝えられている(9月25日朝日新聞朝刊)。

年金生活者 ハマスとの停戦合意を拒んで世論の批判にさらされているイスラエルのネタニヤフ政権が、国民の関心をハマスとの「停戦」からヒズボラとの「戦争」へ向けさせ、政権維持をはかろうとして始めた可能性が高い。

 ネタニヤフは連立を組む極右政党の閣僚から「ハマスの壊滅と人質全員の奪還をせずに戦争を終わらせることに同意する政府にはいられない」などと脅されたことがある(6月2日朝日新聞デジタル)。もし極右政党が連立を離脱すれば政権は崩壊する。ネタニヤフは、早期の停戦による人質解放を望む国民世論を変えてしまいたい。

 たしかに新たな戦争は世論を変える要因になる。だが、「人命」優先に傾いている今のイスラエルの世論をさらにひと押しする可能性もある。

ハマスの壊滅を狙うイスラエルのガザ攻撃は、タリバン政権の壊滅を狙ったアフガニスタン戦争、フセイン政権の壊滅を狙ったイラク戦争を想起させる。アメリカはふたつの戦争で泥沼にはまり、戦争遂行能力を著しく低下させた。イスラエルがハマスに加えてヒズボラとも戦争を続ければ、似たような道をたどる可能性は高い。

30代 ロシアがウクライナ侵略を始めてしばらくは、西側諸国による制裁がロシア国民の生活に与えている影響を伝えるニュースを見聞きすることがあった。今それがほとんどない。影響が深刻なら西側メディアが報じるはずだから、国民は戦時の割には困窮していないのではないか。

年金 だとしたら、ロシアが侵略をやめて撤退する可能性がないこと、ウクライナはロシアに占領された領土を放棄するほかに停戦を実現する道がないということを物語っている。ウクライナ国民はいずれそれを選択し、戦争は終わるだろう。

30代 どんな正当化もできない侵略戦争をしたロシアのやり得になってしまう。そのあと世界はどうなるんだ。

年金 アメリカはこの戦争で、自らは流血を避けながら、経済制裁とウクライナへの大量の武器援助でロシアを疲弊、衰退させることを狙った。それが思い通りに行っていないことは現在の戦況が示している。

 多くの国は資源大国のロシアとの取引を完全に断つことはできないし、中国は制裁の穴を埋める役割をしている。戦争で人命が失われることに対するロシア社会の許容度は西側の先進諸国よりも大きい。

 疲弊はアメリカも免れない。先進国であるぶん、それに対する耐性はロシアよりも脆弱なはずだ。さっきも言ったとおり、アメリカはアフガニスタンとイラクの両戦争で、戦争遂行能力を大幅に落とした。ロシアの侵略を武力で阻むことができず、流血の戦闘はすべてウクライナに負わせた。

 だが、自らは血を流さないアメリカのこのやり方も、受けるダメージは小さくない。ウクライナ戦争後は、流血の戦争だけでなく、無血の戦争の遂行能力も低下させたアメリカの姿を見ることになるかもしれない。

30代 国際刑事裁判所(ICC)から逮捕状が出ているプーチンは裁判所加盟国のモンゴルを訪問したが、逮捕されずに歓迎されたと報じられている。

年金 ICCの設置を根拠づけているのは「国際刑事裁判所に関するローマ規程」という条約の形をとった国際法だ。国際法の元祖は17世紀ヨーロッパの宗教戦争に終止符を打ったウェストファリア条約とされる。つまり国際法という概念は西洋特有のものであり、東洋の国であるモンゴルはそれに泥を塗ったことになる。尾崎久仁子という国際法の専門家でICCの元裁判官は「ICCの権威の低下は避けられない」と指摘する(9月4日朝日新聞朝刊)。

 西側諸国が「力による現状変更」と批判する中国の周辺海域などでの振る舞いもまた、東洋が西洋に泥を塗る行為ととらえることができる。それは一面で西洋による植民地支配や侵略を受けた東洋の「帝国」が、奪われたものを取り返そうとする動きとも言える。こうした東西の力関係の変化はグローバル化によって加速され、中国はその流れに乗ってかつての「帝国」の勢いを取り戻した。

 中国の強大化に続いて、半アジア的なロシアが冷戦の敗北から立ち直り、インドが急成長を遂げるなど、東洋の復活が目覚ましい。ロシアはウクライナに攻め入る力まで持った。米中が世界の覇権を争うことになったのは必然と言える。前世紀の末、吉本隆明は、世界史上に現代アジアがせり上がってくるという趣旨のことを語っていた。それが的中した。

30代 民主主義国は衰退し、権威主義の国々が勢いを増すことになる。

年金 資本主義は表現の自由が制限されていても、競争の自由さえあれば発展することを中国は実証した。だが、現在の資本主義はSNSの普及に見られる通り表現の自由を前提にした消費活動によって成り立っている一面がある。それが拡大していけば、資本主義は独裁を排除する方向に向かう可能性がある。