がらがら橋日記 出雲弁のはなし②

 出雲弁を意識し始めたのは、小学生の時だった。祖父母から親戚、両親もかなりの使い手だったが、ぼくが飽かずおもしろく思ったのは『出雲の方言』(漢東種一郎著)という一冊の本だった。出版年がちょうどぼくの生まれ年である。ここ数年、蔵書のほとんどを処分したが、これだけは捨てる気になれないままだ。一つの方言をテーマに意味を解説し、会話形式で用例が挙げてある。音読していると母がゲラゲラ笑うので、それが繰り返し読む動機づけになった。それで知らず知らずのうちに知識を蓄えた。あくまで知識として。だから誰もが当たり前に使う「~しちょう(している)」などは意識せずとも出てくるが、出雲弁独自の語彙や訛りは通常使っていないつもりである、自分では。

 小学生のころはまだ子どもたちの会話の中に出雲弁はかなり生き残っていた。例えばじゃんけんのことをぼくらは「やっき」と言っていた。「じゃんけんぽん」は「やっきっき」、「じゃんけんで決めよう」は「やっきで決めらこい」が常用だった。しかし、だれもがテレビに夢中だった時代、いつの間にかやっきは使わなくなっていく。ほかの多くの出雲弁とともに。しかし、生まれたときから長らく大量に浴びたおかげでしゃべろうと思えばしゃべれるのだ。

 高校生の時、よくいっしょに遊んでいた男があるとき、「出雲弁保存会みたいなお前のお母さんが…」と言うのではっとした。そんなふうに母を見たことがなかったからである。ぼくにとっては母や父の言葉であって、それが出雲弁であるかどうかなど意識することなどまったくなかった。やつはそう言った後、

「けんずー、けんずー」

と母がぼくを呼ぶのを真似てケラケラと笑った。気の合う男だったのでバカにされたとは思わなかった。むしろ「ずー」の音はそうではない、「ずー」と「じー」の中間の音なのだ、と発音のずれの方が気になってしまった。くだらないのでわざわざ指摘もしなかったが、こいつには到底発音できないだろうと思った。

 しゃべろうと思えばしゃべれるけれど、日常生活でわざわざ出雲弁を使ってしゃべる機会などありはしない。だからぼくの使う言葉はほとんど共通語になっているだろうと思っていたがそうでもないらしい。20年ほど前だが、木次乳業の佐藤忠吉翁の評伝を森まゆみさんが書かれたとき、忠吉翁の出雲弁の校正を頼まれた。まったくの共通語にするのも味気ないがさりとてそのままではわかりにくい。その調整が主な仕事だった。依頼者には、ぼくの言葉に出雲弁が聞き取れたのだった。