がらがら橋日記 稽古場 3

 

 松江と出雲で史上最大雨量を観測した日、早々と一日家で過ごすことに決める。というか、どうせ用事のない日だったから、冷蔵庫の中のもので食べると決めれば出かける必要はなくなるので、雨はあんまり関係ない。ぼんやりと現行稽古や公演のあり方について考えた。というのは、市内某サ高住で立て続けに稽古をして一週間が経ち、次まで一週間空いたので、散らかったままの反省や思いつきなど、整理しておきたくなったのである。

 このところサ高住稽古はそれなりに活況で、30分前には車椅子や手押し車とともに入居者が稽古場に姿を見せる。この勢いで来られたら、部屋に入りきらないじゃないかと心配になるのだが、毎回椅子の数だけちょうどよく座っているから不思議だ。

 来場への謝意を伝えた後は、「まだ30分ありますよ」と毎回言ってしまう。。開始時間を知らない、あるいはかんちがいしているかも、とどうしても考えてしまうのだ。

「はい、はい」

「だいぶん待っていただくようになりますが」

「はい、はい」

 老人たちは30分あればあれしてこれして、と考えてしまうぼくへの批判としてにこやかに座っている。

 毎回来て同じ場所に座るおばあさんが、めずらしくぼくに声をかけてきた。

「子どもたちが一生懸命やっている姿見てますとね、涙が出てきます」

 言葉にしていなくても、眼差しから感じていたことではある。でも、改めて聞かされると、思いに質量が伴ってハッとさせられた。落語の巧拙などどうでもよい、子どもが会いに来て懸命に語っているその時間と空間を愛おしむ。寄席じゃなくて稽古だからと、ぼくは子どもの話を遮り、繰り返させるが、それだってどうでもいいのだ。こんなふうに不完全なものを不完全なままにさらけ出して喜んでもらえるのだったら、稽古はどこだってできるはずだ。トンボが雨後の水たまりへ卵産むみたいにやればいい。

 うちは、アパートの四階で、近くの川はあふれたことがないので高をくくっていたら、実家は床下浸水していた。近所のおばあさんは、市職員に負ぶわれて避難した。ゲリラ豪雨はこのところ毎年だし、引っ越し後は、高齢者の安否確認や避難を考えておく必要がありそうだ。日頃のコミュニケーションが要となるだろうから、歩けぬ老人の家では、子どもたちの手を借りて、玄関先で小咄でもやらせてもらおうか。笑い声で安否が確認できたらこれほど確かなことはない。