北海道への旅、三度目 9
前の車の方が連絡をしていた車屋さんは、側道横にあるコンビニの駐車場で待機していた。その車屋さんが「警察の許可が出たので車を運びます」と知らせに来て、奥さんを助手席に乗せ、警察の方の誘導で側道へ降りていった。その10分くらい後に、追突した方の乗用車もレッカー車に乗せられ、若い男性と共に行ってしまった。残ったのは、うちの車だけ。
夫は、保険会社やら車屋さんとのやり取りをした結果、「今日は車屋さんが開いている時間に帰れそうにないし、荷物もたくさん積んでいるから、JAFに頼んで車をうちまで運んでもらうようにした」と言う。それから夫は娘に電話をかけた。何もかも片付いてからにしようと言っていたのに、もうかけている。娘にしたのならと、私の方は二男にメールを入れた。すぐに、「え!!マジ!怪我は?」の返信があり、今度は携帯電話をかけて状況を報せた。
警察の方から、病院で診察を受け、怪我があれば人身事故になり、ぶつけた方は再度警察に来てもらうことになるので、その際は連絡を入れるようにと名刺を手渡された。
そして、長く閉鎖していた高速道路の流れを元に戻すため、うちの車の後輪二つにジャッキをつけ、島根方面から側道に入る手前の空スペースに運ばれた。一人がハンドルを握り、二人が車を押して。その後を付いて私たちも移動する。陽は少し傾いたとはいえ、汗が滴り落ちる。配電盤らしきものの陰に入った。目の前の道路を車が流れ出し、ほっとする。
「私たちはこれで引き揚げます。何かあったらあそこにいる二人に行ってください」と、少し前に現場に来られた制服ではない二人の男性を指さし、パトカーはその場を去った。高速道路のメンテナンスをしている長男が、帰省した際によく下請けの方たちの話をする。二人の男性も高速道路関係での何らかの役を引き受けているのだろう。
しばらくして、JAFの車が逆車線を走るのが見えた。軽く会釈されたので迎えの車に違いない。一番近い側道で降りて、こちら側の車線を走って来るのだ。15分くらい待つとその車がやって来た。うちの車をJAFの荷台に乗せるまで、二人の男性が車を止めていてくれた。これでようやく帰れる。時刻は五時半。事故が起きて3時間以上経過していた。