ニュース日記 912 資本主義が向かう先

 

30代フリーター このあいだ「伝説のコンサート 美空ひばり」というNHKの番組を見て、ひばりの身振りや表情は演説する田中角栄に似ているなあと思った。

年金生活者 ふたりとも二度とあらわれることのない昭和の2大天才だ。というより、この先、同じような人物があらわれても、時代は決して天才として遇することはないだろう。

30代 今の日本の天才といえば、大谷翔平、藤井聡太、井上尚弥がすぐ頭に浮かぶ。

年金 ひばりと角栄が圧倒的な熱量を放出していたのに対し、その3人はクールさを手放さない。つくり、蓄積する天才が前者だとすれば、後者は崩し、享受する天才だ。

 つくるときに必要なのは前に進む勢いだ。重力に逆らうパワーがないとビルは建てられない。それを担う人間は熱くならざるを得ない。崩すときに必要なのは繊細な行動だ。ビルを解体するとき、それを欠くと、周辺の建物まで壊してしまう。それに携わる人間はクールになることを強いられる。

30代 時代の違いがはっきりあらわれている。

年金 ひばりと角栄が、第2次産業を牽引車とする産業資本主義の時代の天才だとすれば、大谷、藤井、井上は、第3次産業を牽引車とするポスト産業資本主義の時代の天才と言うことができる。前者は生産を中心とした資本主義の時代の天才であり、後者は消費を中心とした資本主義が生んだ天才だ。

 角栄はこの列島にインフラをつくり、そこでモノをつくるのをあと押しする政治を進めた。ひばりの歌はそれに携わる人々への応援歌だった。大谷、藤井、井上は、それぞれ野球、将棋、ボクシングの既成のイメージ、既成の枠を解体し、その風景を変えた。

30代 そのポスト産業資本主義下の日本がGDPでドイツに抜かれ、世界4位に転落した

年金 リチャード・ダイクという、日本をよく知る企業経営者が「嘆き悲しむ必要はない」と語っている(2月16日朝日新聞朝刊)。世界で日系企業が生み出す富はGDPには反映されにくい。これからは国境の内側の富だけでなく、海外での所得を再分配することを考えるべきだ、と彼は言う。

 ダイクの主張は、経済はグローバル化したのに、政治は国家単位のままになっているという矛盾の指摘でもある。資本主義システムによる富の分配は地球規模になったのに、その再分配は今なお国家の内側だけで行われている。

 国家による富の再分配の最大のものは社会保障だ。グローバリゼーションは移民労働者を増やし、日本も事実上の「移民大国」になった。社会保障の対象はもとからの日本国民だけでなく、移民にも広げざるを得ない。これはダイクの言う「海外での所得の再分配」と表裏の関係にある。

30代 ダイクはその主張を具体化する方法を語っていない。

年金 現在のポスト産業資本主義は絶えざるイノベーションを利潤の主要な源泉としている。それはやがて限界に突き当たり、今後は経済の外部のイノベーション、具体的には国家のイノベーションがないと、つまり再分配の仕組みが根本から変わらないと、資本主義は利潤をあげるのが難しくなるだろう。ダイクの指摘はそれを予感させる。

30代 イノベーションといえば、第4次産業革命が進行中と言われる。

年金 第4次産業革命についてウィキペディアは「物理、デジタル、生物圏の間の境界を曖昧にする技術の融合によって特徴づけられる」と説明している。その通りだとすれば、これまで離れる一方だった人類と宇宙がふたたび近づき始め、人間の根源的な願望である母胎の宇宙への帰還を社会が代替する可能性が生まれる。

 ウィキペディアによれば、第4次産業革命は「技術が社会内や人体内部にすら埋め込まれるようになる新たな道を表している」。それによって「次第に生物と機械を区別できなくし(動物との意思疎通など)、最終的にはバイオテクノロジーやナノテクノロジーを用いた人体改造でポストヒューマンを生み出すことを可能にする。その時点で、人間の思考は機械の情報処理と統合され、真の意味で拡張可能になり、人類進化は次のステージに進むことになる」という。

30代 第3次までの産業革命とはだいぶ違う。

年金 蒸気機関が繊維などの軽工業を発展させた第1次産業革命と、電気と石油が重化学工業を発展させた第2次産業革命は、自由競争市場という、自然とは異なる新たな領域を切り開いた。デジタル化を推進力とした第3次産業革命は、その領域をさらに超えるバーチャルな領域を生み出し、自由競争市場をいっそう拡大した。それらの革命はいずれも人類を自然から、言い換えれば宇宙から遠ざける革命だった。母胎の楽園を追われ、荒れ野に放り出された乳児が、やがて道を切り開き、成人して母から遠ざかる過程とそれは対応している。

 第4次産業革命は、広がった人間と自然=宇宙との距離を飛躍的な技術によって縮める革命を意味する。それが進めば、人類はかつてのような自然=宇宙とともにある生活に戻っていき、そのぶん自由競争市場の支配から脱していく可能性がある。そのとき資本主義は主役の座を降りることを迫られるだろう。