空き家 5 生家の行く末⑥
数年前、茨城の叔母宅を訪れた際、毎朝の犬の散歩に出る叔父と近所を歩いていた時のこと。随分前に来たことのあるいかにもニュータウンといった住宅地に行って驚いた。「おらの居た会社のもんも、ここにいっぺおるで」と言っていたそこに人気はなく、ゴーストタウンのようになっている。叔父が、「わけもんたちゃ、あそこに出来た住宅におる」と、少し離れた新しい住宅地を指さす。老齢となった住人はどうなったのだろう、施設にでも入ったのか、子どもに引き取られたのだろうか。マイホームを夢見、子どものためにああしよう、自分たちも楽しむためにこうしようとワクワクしながら構想し、ローンを組み、懸命に働いて建てただろうというのに、家は老朽化、住人も老齢化、深閑とした建物だけが残る。道路に散らばる落ち葉を踏みながら、空しい思いを抱えて叔父の後をついて歩いた。
NHKで特集していた「空き家」で、長く放置した家の持ち主を取材していた。東京の都心部の例では、まず相続権についての確認。以前届いた相続権放棄の手紙を思い出す。取材を受けていた人は、一人一人に当たって相続放棄に同意してもらっていた。その後に残ったのが最大の問題、家への断ち切れぬ思いだ。写真を眺め、あれこれ葛藤の末、リフォームして貸し出すことに決める。そのリフォームというのが、貸す方でなく、借りる方がし、その分借り賃を安くするというもの。家の特徴を生かしながら、フォトスタジオとして有効利用され、貸し手も借り手も両方が満足できるものになっていた。
うちの生家ほどの古い家でも、リフォームすれば使ってもらえるのだろうか。従兄があと30年くらいは大丈夫と言っていたけど、それでは買い手はつかないか。しかし、解体ということには…、断ち切れぬ思いがありすぎるし…。
散歩コースで毎日解体の様子を見ていた広い屋敷は一旦更地となり、今は家が建っている。2軒はもう人が住み、さらに2軒が建設中だ。近所で一昨年更地になったところも今月に入り工事が始まった。