空き家 19 生家の思い出⑥

 

 泉南から出雲に帰ったのは、小学校を卒業してすぐだった。父がある事情で会社に居られなくなり、母が務める会社の社長からの提案で、出雲で事業を始めることになったのだ。

 私は家の近くにある中学校に進み、「ソフトボール部に一緒に入ろうね」と友だちと約束していたので、本当は田舎に帰りたくはなかった。毎日学校から帰ると、塀を伝って迎えに来てくれる愛猫タマと別れるのも嫌だった。けれども、半年ほど前から家の中で繰り返されるごたごたを目の前で見、肌で感じてきているので致し方ないことも分かっていた。

 父は事業を立ち上げる準備で先に田舎へ帰り、母と私は荷物がトラックに積み込まれた後、タマとお別れして駅に向かった。駅には親しい友だち数人が見送りに来てくれ、その中の一人は一緒に電車に乗り込み、隣に座ってくれた。その友だちが次の駅で降りると、別れが現実になったのか涙があふれだし、難波駅に着くまで泣き続けた。思い出の波が寄せる度に目頭が熱くなり、引いてもまた次の波が押し寄せ、寄せては返す波は家に着くまで続いた。

 そして、田舎の家で、父と母、祖母と伯母、私の5人の生活が始まる。祖母とは小さい頃の何年か一緒に暮らしていたし、田舎に帰ると伯母とも過ごしていた。が、そこに暮らすとなると、一切が違っていた。土間があり、竈があり、部屋は襖や障子で仕切られるだけ。壁がなく、障子や襖を外すと家全体が一つの大きな部屋という感じだ。鍵っ子で、学校から帰ると一人で居ることが多かったせいか、いつも家の中に祖母や伯母が居るし、近所の人が毎日のように来て茶飲み話が始まるという暮らしになかなか慣れなかった。一つ、ほっとしたことがある。庭に工場が建ったので、あの恐怖の便所が新しく作り替えられていたことだ。

 中学校にはスクールバスで通った。旧小学校跡で待っていると、バスが来る。早便と遅便の2便があり、週ごとだったか月ごとだったかで交代で乗った。同級生が数人いたが、皆は小学校からの馴染みなので、自分からその中に入ることはできなかった、

 家の環境から、友だちから、何もかもがすっかり変わり、異次元空間に彷徨っている感覚で、学校から帰ると海に向かった。水平線を眺めながら、ただひたすら歩き続けた。