ニュース日記 889 政権交代はなぜ起きるか

 

30代フリーター フランスに研修に出かけた自民党女性局の国会議員らが、エッフェル塔の前で塔をまねたポーズをして撮った写真などをSNSに投稿し、「税金で観光旅行か」などと批判を浴びた。今月の朝日新聞の世論調査では「問題だ」が62%にのぼっている。

年金生活者 この種の批判に対しては決まって「そんな小さなことよりもっと大事な国政の問題があるだろう」という「大所高所」からの難癖がつけられる。だが、多くの国民は「そんな小さなこと」に敏感だ。そこに政治の「ゆるみ」を感じ取り、自分たちがなめられていると受け取るからだ。

 2009年に自民党が民主党に政権を奪われたのは、当時の麻生内閣で閣僚らのカネがらみの不祥事が相次いだことが大きな要因だった。国民はこの内閣の「ゆるみ」を察知して怒ると同時に、リーマン・ショックで広がった世界金融危機への政権の対処能力に不安を覚えたと推察される。

30代 ところが、そのあとの民主党政権は3年3カ月で倒れた。

年金 自民党の「ゆるみ」はおごりから出たものだった。それは挑まれる者としての「ゆるみ」だった。これに対し、民主党政権は挑む者としての「ゆるみ」によって瓦解した。彼らは「国民の生活が第一」「官僚主導から政治主導へ」を掲げ、自民党と霞が関が築き上げたシステムに挑んだが、官僚の抵抗に遭って公約破りに走った。国民は自民党以上に国民をなめていると感じたに違いない。

 自民党が「利害」によって結束した政党だとすれば、それに挑んだ民主党は「理念」によって結束しなければならないはずだった。「国民の生活が第一」「官僚主導から政治主導へ」はそうした「理念」になり得ると期待されたが、あっさり裏切られた。

 自民党の政策も民主党の政策も、内政では市場経済を前提にし、外交では日米同盟を基軸にしている点では根本的な違いはなかった。国民はそれを前提にしたうえで、政策を実行する手段と能力を見比べて政権選択の判断をした。「ゆるみ」は手段の緻密さと実行力を削ぐ大きな要因と受け取られた。

 自民党の「ゆるみ」が「利害」にまつわるものだったとすれば、民主党のそれは「理念」にかかわるものだった。国民はそのどちらも許さなかった。

30代 旧ツイッター(現X)で、小沢一郎(事務所)がしきりに自民党を「利権政治」と批判している。

年金 麻生内閣が民主党に倒されたのは、政策上の錯誤ではなく、相次ぐ不祥事が大きな要因だったことが物語るように、不祥事の追求は政権交代に至る「王道」と言わなければならない。

 3度目の政権交代に執念を燃やす小沢一郎が共産党との選挙協力に積極的なのは、基本路線が違っても不祥事の追求は共にすることができるからだ。それで自民党を倒して新政権をつくっても、路線の違いは棚上げすれば何も困ることはない。

政権選択の選挙で基本路線の違う党と協力することなどできない、と野党共闘を否定する主張は根強くある。基本路線と個別の方針、将来ビジョンと当面の課題を短絡させるこの種の主張は、裏に別の意図があるか、認識が幼児的か、いずれかだ。

30代 野党がバラバラの今、政権交代にかつてのような現実味はない。

年金 英国の2大政党による政権交代は、資本家と労働者というふたつの階級を代表する政党の存在によって成り立っている。この2大階級を生んだのは、製造業を牽引車とする産業資本主義であり、それが第3次産業中心のポスト産業資本主義に取って代わられるにつれて、2大政党の議席占有率は漸減傾向をたどり、時代とのずれが生じ始めた。

 産業資本主義は均質な労働力を必要とする。労働者どうしは労働の性質も待遇も似かよっていて比較的平等が保たれる。それが労働者階級という大きなひとかたまりの階級を生んだ。これに対し、ポスト産業資本主義では、労働の性質も待遇も格段に多様化し、労働者のあいだにも格差が広がった。労働者はもはやひとつの階級とは言えないくらい多様になった。

こんな時代に日本で2大政党による政権交代が定着する可能性はきわめて低い。民主党政権が成立したとき、そんな時代が来るかに見えたが、政権のつまずきでその期待はしぼんだ。代わって、維新の会の伸長など野党の多様化が進んだ。

日本でこの先もし政権交代があるとしたら、ドイツやフランス、イタリアのように、過半数に満たない政党どうしの連立によるものとなるだろう。現在の資本主義がそれを強いるからだ。小沢一郎が「野党候補の一本化で政権交代を実現する有志の会」をつくったのはそうした時代認識に基づいている。

30代 自分たちを「第2自民党でいい」と発言した日本維新の会代表の馬場伸幸は「自民党と維新の二大政党制にして、政権奪取の争いをやっていきたい」と言っている(7月26日時事通信)。

年金 時代からずれた考えというほかない。そればかりか、アメリカの2大政党でさえ、かつての資本家と労働者の階級対立の延長線上に存続し得ていることを無視して、保守どうしの2大政党を主張しており、二重の錯誤をおかしている。