ニュース日記 887 世界経済の基調はやはりデフレ 

 

30代フリーター ロシアのウクライナ侵略戦争は長期化の様相が一段と濃くなった。G7各国はウクライナに長期的な安全保障を提供する共同宣言を発表した。

年金生活者 戦争の長期化はインフレを望む資本主義の意思にもかなっている。

 G7の宣言は、流血の戦争はウクライナとロシアに限定し、西側諸国は武器の提供と経済制裁による無血の戦争を今後も続けるという宣言だ。かつての東西冷戦も、核を中心とした抑止力を競う無血の戦争と、ベトナム戦争に代表される局地戦による流血の戦争とが組み合わさったことで、双方の戦争遂行能力の短期的な消尽が回避され、40年以上も続いた。

 それは国民生活の向上を競い合う戦争でもあったので、軍事のみならず経済、福祉などの分野でも需要を創出し続け、世界経済の基調をインフレにした。それが高度経済成長を支え、資本主義の発展をあと押しした。だが、やがてインフレは利潤の源泉となる安い労働力の慢性的な不足を西側諸国にもたらす。

30代 そんな西側に東側は完敗した。

年金 東側は国家が資本を投じることによって工業化には成功したものの、その次の段階である産業のソフト化に失敗し、国民生活の向上で西側に大きく後れを取った。それが政権の崩壊、冷戦の敗北につながった。

 その結果、西側は敗れた東側から安い労働力を得ることができるようになった。世界経済の基調はインフレからデフレに一気に転換した。利潤の幅は縮まり、絶えずイノベーションをしていないとそれさえも得られないという、企業にとっては厳しい時代になった。

 そんなときに起きた新型コロナウイルスのパンデミックとロシアのウクライナ侵略はインフレを再拡大し始めた。資本主義にとっては「干天の慈雨」となり、戦争の継続、長期化は望むところとなった。

30代 ところが、中国ではデフレの可能性が指摘されている。4~6月期の実質成長率は前年同期比で6・3%だったものの、ゼロコロナ政策の解除にともなう反動による部分が大きく、足踏みを続ける回復に「バブル経済から停滞期に入り、デフレが続いた日本と同じ道をたどっているのではないか、との不安の声が出始めている」と報じられている(7月18日朝日新聞朝刊)。

年金 同じ記事に、家具メーカーの集中する広東省仏山市順徳区の工場直営店で働く女性(50)の話が紹介されている。「家具はご飯と違って、買わずに古いのを使えばいい。業界はいま本当にきつい」。中国の消費者が、家計に占める必需的消費(「ご飯」)と選択的消費(「家具」)のうち、いま後者を抑えていることを示している。それは経済の基調がデフレになっていることを意味する。

 デフレは長谷川慶太郎が「買い手に極楽、売り手に地獄」と言い表したように、個人の持つ力がそれだけ増した状態を指す。吉本隆明の言い方に従うなら、国民は選択的消費を一斉に抑えることによって時の政権を倒せるほどの潜在的な力を手にしたと言える。それは国家の権力の一部が個人に分散したということでもある。

 分散した権力を手にした個人は相応の処遇を求めるようになる。永田町や霞が関の都合ではなく、私たちの都合を優先しろ、と要求しだした有権者が成し遂げたのが2009年の民主党への政権交代だった。

30代 習近平政権も危うくなるのか。

年金 政権交代時の民主党が掲げた「官僚主導から政治主導へ」「国民の生活が第一」といったスローガンは、ひと言で言えば個人の尊重をうたうものであり、それはデフレを前提にした路線ということができる。霞が関はそれに激しく抵抗した。政権は公約破りに追い込まれて国民の信用を失い、倒れた。

 そのあとの安倍政権がとった路線は、デフレからインフレへの転換であり、個人に分散した権力を国家に回収することだった。前者の具体化が一部の輸出企業を潤わせたアベノミクスであり、後者のそれが集団的自衛権の行使の一部容認や特定秘密保護法の制定だった。

 もし中国経済でデフレが続けば、政治もまた日本がたどったような経路を、形は違ってもたどる可能性がある。つまり、かつて日本国民が自民党政権にノーの票を投じたように、中国国民も習近平政権にノーを突きつけ、やがて厳しい弾圧に遭って、そのあとにいっそう強権的な独裁体制が出現するかもしれないということだ。

30代 しかし、世界は今インフレだと言われている。

年金 さっきも言ったとおり、それは新型コロナウイルスが引き金を引き、ロシアのウクライナ侵略が拡大したものだ。資本主義システムにとっては、前者は偶然であり、後者は例外的な出来事だ。つまり資本主義そのものの必然性がもたらしたものではない。そう考えると、長期的、巨視的には世界経済は依然としてデフレが基調になっていると理解しなければならない。

 これは、ウクライナで流血の戦争が続く現在も、世界全体としては依然として無血の戦争が戦争の「本流」であることと対応させて考えることができる。ウクライナの側に立つ西側諸国は、武器の援助や経済制裁は続けていても、自らは血を流さない。