がらがら橋日記 初心忘じ易し

 

 梅雨末期、どこがどうということもないのに、まったく気力が湧かず、朝からだるくてしかたがない状態が続いた。妻が心配して、コロナにかかったんじゃないか、熱中症では、更年期かも、などと矢継ぎ早に問いかけてくるものだから、そのどれものような気もして、沈み込んでいないと格好が付かないようになり、ますます浮上のきっかけをつかみそこねてしまったのだった。

 梅雨明けのニュースが流れた翌日、暑くはあったが空気が明らかに軽くなったのを感じた。自分の気分もそれまでが嘘のように楽になった。どうにもめんどうでしかたのなかったランニングやトレーニングも苦痛でなくなっていた。たぶん軽い熱中症でもあったのだろうと思うのだが、それに加えて気の持ちようを誤っていたことに気づいた。

 以前にも書いたが、昨秋学習塾をいっしょにと塾長から声をかけられとき、算数と落語を教えるという構想をおもしろいとは思ったが、「落語を金払ってやりたいという子がおーはずないがや(いるはずない)」というのが率直な感想だった。そんな組み合わせは聞いたことがないので、物珍しさと断る理由もみつからないことから、講師に名を連ねることになったのだが、落語教室に生徒が来るなどどうにもリアリティが感じられなかった。

 春になって開校準備が本格化すると、講師陣、と言っても3人だが、何度もファミレスに集まった。塾長は経営者として、設立に要する文書や契約に奔走した。ぼくはと言えば、それを横目で見つつ、チラシをこしらえたり、ホームページを作ったり、周辺の仕事を請け負った。経営については聞いてもよくわからないから、できそうな仕事として。

 開校前後、落語に興味を持っている人がいる、とか、子どもにやらせてみたい、などまさかの声が聞こえてきた。ひょっとして、など思うともういけない。夢は勝手に膨らみ始める。夜中にふと目が覚めると、そのことばかり考え眠れなくなってしまう。それで冒頭の状態になってしまったのだった。

 たまたまテレビで、人生後半は夢の高さを下げなきゃと言っているのを聞いて、これだったかと思った。夢に先導させてオーバーペースになっていた。ここは「おーはずないがや」という初心に帰るべし。それを元手にできることを考えた方が気が楽だ、と思った途端いくつか思いついた。幸いこの思いつきは眠りを妨げない。夢が生ずるのはどうしようもないのだけど、膨らむに任せているとあちこちに障る。これから磨くべきは、それを抑える知恵なのかもしれない。