ニュース日記 886 非婚の時代へ?
30代フリーター 結婚の8割が見合いによるとされるインドでマッチングアプリの利用者が急増している、と朝日新聞が報じていた(7月4日朝刊)。
年金生活者 先進諸国から見れば、まだその段階か、と感じられるかもしれないが、結婚相手がカーストによって制約されてきたインドでのこの変化は、グローバル資本主義が婚姻にまつわる掟を徐々に崩し始め、未来社会では婚姻という制度そのものがなくなる可能性を予感させる。
夏目漱石は『吾輩は猫である』で、迷亭という登場人物のひとりに「遠き将来の趨勢を卜すると結婚が不可能の事になる」と語らせている。「今の世は個性中心の世である」というのが迷亭のあげる理由だ。みながそれぞれ「個性」を主張しだすと、生きるのが窮屈になる。それで苦しまぎれにまず考え出されたのが「親子別居の制」であり、それでも満足できずに最後は「夫婦が分れる事になる」と説明する。
「自己責任」という言葉の普及に象徴されるように、共同体の解体と個の分散を促し続ける現在のグローバル資本主義の姿を漱石は1世紀以上前に見通していたと言ってもいい。欧州にはすでに婚外子が過半数を占める国がいくつもある。
30代 同性婚の制度化を求めるのは婚姻制度の固守のようにも見える。
年金 かつては異性婚しか想定していなかった婚姻の概念を拡張することによって制度としての縛りを緩める点で、婚姻の解体過程を象徴しているとも言える。同性婚を制度化した諸国の同性カップルは、法律婚、事実婚、単身のまま、といった選択肢を自由に選び取ることができる。そのぶん、かつて異性婚を縛っていた婚姻制度の呪縛から解放されているということでもある。
30代 日本では50歳の時点で結婚したことのない人の割合を示す「生涯未婚率」が2020年で男性28・3%、女性17・8%におよんでいる。1970年に男性1・7%、女性3・3%だったのが、半世紀の間にひとケタ増えた。
年金 未婚の理由に「結婚したいのにできない」と「結婚はしたくない」の両方があるとすれば、「結婚したいのにできない」はどちらかというと男性に多いのではないか。高度経済成長期までの女性は働き口が限られていたため、生活のためには否応なく結婚せざるを得ない時代背景があった。高度成長を経て第3次産業中心の経済になると、女性の働き場は飛躍的に増え、結婚が生活のための必須の選択ではなくなった。
そうなると、男性は結婚の機会が狭まる。かぐや姫の物語が示すように、男性は女性に選ばれる側の性だ。女性を結婚に向かわせていた社会的な強制力が弱まれば、女性に選ばれない男性が出てくるのは必然と言える。男性の生涯未婚率が女性の1・5倍以上にのぼっていることがそれを示している。
一方、「結婚はしたくない」は「結婚したいのにできない」ほど男女差はないと推定される。単身でも不便を感じないで生活できる社会になったことが背景にある。資本主義の高度化とともに、家計に占める選択的消費が必需的消費と肩を並べるまでに拡大したことがそうした社会を現出させた。
このことは個人がかつてなかったような経済的な力を手にしたことを意味する。その結果、各個人はそれに相応する処遇を他の個人に求めるようになる。そこに衝突が生まれる可能性が高まる。それを回避するために、結婚しないことが有力な選択肢となる。
30代 若い女性たちは、結婚を合法的なパパ活と見抜いていて、だからこそパパ活にも恋愛が成立し得ると考えているという趣旨のことを岡田斗司夫がユーチューブで語っていた。岡田によれば、いま10代、20代前半の女性の一定割合はパパ活を当たり前と考えていて、お金のためにやっているのが多いことは確かだが、それ以外に「同い年より優しいしお金もあるし」というので、ギリギリ恋愛ぽいものが成立している場合があると指摘する。だから、打算のない純粋な愛を求める者にとっては恋愛がしにくくなっている、とも。
年金 その指摘は結婚がもはや愛の「最終の姿」ではなくなりつつあることを示している。結婚を愛と打算の組み合わせと考えるなら、この組み合わせが結婚だけでなく、他の関係にも大っぴらに持ち込まれる可能性があるということだ。その中には恋人どうしの関係も含まれる。
変化は結婚や恋愛のあり方だけにとどまらない。すでに恋愛そのものを敬遠したり、ネット上のバーチャルな恋愛で代替したりする若者が珍しくなくなっていることが指摘されている。
30代 低所得の若者が結婚しにくくなり、結婚しても子供を生みにくくなった、とマスメディアなどでは言われている。
年金 原因を低所得にばかりに求めると、判断を誤る。昔は貧しくてもたいていの若者が結婚した。「ひとり口は食えぬが、ふたり口は食える」とか「貧乏人の子だくさん」という言葉もあったほどだ。
結婚しにくくなった、より根本的な理由は、婚姻という制度そのものの綻びにある。そのわけをひと言でいうなら、私たちの社会が単身でも生きていけるくらいに豊かになったことにある。