がらがら橋日記 松江算数活塾③

 

 松江算数活塾の特徴をなす活動のもう一つは、研修会である。初めは保護者研修会と名付けていたが、どうにもゴツゴツとした響きで収まりが悪い。せっかく算数に加えて落語と言っているのだから、寄席にしようということになった。活塾の活の字を「いき」と読ませて二つ重ね「いきいき寄席」と名付けた。月例でゲストを招いて話を聞く。

 塾長からその提案を聞いたとき、ぼくは昔やっていた「あくしゅの会」という月例会を思わないではいられなかった。奥出雲町に赴任したとき、ぼくの役割は同和教育(今の人権教育の前身)だった。小学校に所属してはいるが、授業時間はうんと少なくて、勤務時間の大半を人権教育に関する活動に充てなければならなかった。これまでの学級担任の仕事とはまるで違っていたが、戸惑ってばかりもいられず、とにかく何かを始めたくて地元の人たちの知恵を借りつつ作ったのが「あくしゅの会」だった。

 人権に関わることだったら何でもよい。だれかに話題を出してもらって、それをもとに参加者で話し合おうと考えた。まだぼくも若くはあったし、今思えばずいぶんと青臭いことをしていた気もするが、体力に任せて毎月ゲストを招いていた。少なくとも学校を異動するまでの七年間は続けたので、かなりの回数に上った。ゲストは様々な人権課題の当事者だったり研究者だったりした。どうしてそんなことができるのかと不思議がられたりもしたが、依頼を断る人はめったにおらず手弁当も同然で来てくださった。

 毎回、ゲストや参加者から教わることは実に多く、自分が何も知らないことを痛感させられてばかりだった。ならば回を重ねるうちに知識も増え、感覚も磨かれて多少はましな人間になったかと問われれば、どうもそんな気がしない。そのうち、どんなに学んでも堂々巡りが関の山で、毎回新しい気持ちで向かうほかないのだ、と思うようになった。これは今でも変わらない。当事者に会う、話を聞く、本を読む、そうした行為に開かれていることが大事なのであって、それ以上の、例えば人権意識が高まったかどうかなど、問おうものなら煩わしいばかりでちっとも楽しくない。あくしゅの会では、エコーチェンバー現象(同じ価値観を持つ集団の中で対話を重ねることで価値観や言葉が先鋭化していくこと)は一切起きなかったが、これは人にも運にも恵まれた証拠だ。

 「活活寄席」も「あくしゅの会」みたいに、向上とか進歩などに信を置かず、堂々巡りでよしとする人たちのゆるやかな連帯になっていくことを願う。会の詳細は、ホームページでご覧いただける。