がらがら橋日記 銀のみち 2

 

 今のドルや人民元みたいに世界中に石見銀が流通していた頃は、何万人もの人の暮らしを大森と温泉津の街道沿いで支えていた。銀が取れなくなり、山や田畑では十分に支えられないとなれば、人が減るのは道理。銀のみちを歩いて多く目にするのは、墓標のように佇む空き家や休耕田だ。

 銀の積み出し港だった温泉津も最盛期には40軒も廻船問屋があったのだという。今も県内では有数の温泉街なのだが、往時とは比較にならず、朽ちるに任せた空き家や空き地はそこここに見られる。おもしろいのは、それを逆手にとって人を呼び込む仕掛けを作っている人たちがいることだ。私たちが泊まった宿も、つい最近まで空き家だったところで、オープン初日の記念すべき宿泊者になった。とは言え、それらしき華やぎなど一切ない。1階に客室1間とダイニングにキッチン、風呂トイレ、2階に客室が3間。客室にはそれぞれ同じ仕様の無垢の床材、ベッド、小ぶりな机と椅子、照明があつらえてあった。タオルはあったが、よくホテルで見るアメニティセットのようなものは一切なく、食事もついていない。最初に説明に来てくれたが、あとはほったらかしで、チェックアウトはこちらの都合で鍵を置いて出て行けばいい。民泊の一種なのだろうが、部分的ではあってもインテリアには統一感があってただの民家とは気分は異なる。一泊5,500円というのが高いのか安いのかよくわからないが、使いもしない設備や食べきれない食事には一切支出しないのだからさっぱりしている。

 手続きしてくれたのは経営者の娘さんで、二十歳そこそこの元気な若者だった。聞くと家主は家を売る気はなく、必要が生じれば原状復帰して返却することになっているという。ためにリフォームなどはできず、元に戻せる範囲で手を加えてあるということだった。買い取ってリフォームしてとなると大ごとだが、家賃を払って宿として利用するだけだから身軽だ。そんな家の七軒目。それぞれに持ち主の気持ちと折り合いをつけながら宿のネットワークに組み込んでいる。宿ばかりではない。飲食店をやりたい若者を呼び込み、空き家を貸し出して運営させている。起業してまだ一年も経っていないのにかなりの勢いだ。

 そのシステムをこしらえたOさんとたまたま出会い、話を聞いた。ぼくの念頭にあったのは奥出雲なので、その構想が温泉津を越えて別の地に活かされる可能性を尋ねると、「最も大切なのは人なのです。」との答えだった。場を生かすも殺すもその人次第。銀のみち起点大森、終点温泉津、銀(かね)の切れ目を縁の切れ目としないしぶとい人たちがいる。