人生の誰彼 13 夢の跡
そう、夢のような暮らしでした。小学校3年生のとき、それまで住んでいた駅裏通りの古くて狭くて薄汚れた借家から、郊外の高台に新しく造成された団地に引越しをすることになったのです。昭和40年代半ばのことです。
出来立てほやほやの湯気が立ちそうな鉄筋コンクリート造四階建ての県営アパートの一室で、それは眩しいばかりの新居でした。前の住まいには無かった内風呂はもちろん、トイレは洋式の水洗等全てが目新しく、台所の蛇口には泡沫栓が付いていて空気を含んだ白い水が出てくるのが不思議で愉快でなりませんでした。
一方そんな浮かれた気分とは裏腹に、小学生だった私には引越しが決まったときから一抹の不安が心の隅に残っていました。そう、転校です。どこにあるのかもわからない小学校への学年半ばでの転入が憂鬱でたまらなかったのです。
そしていよいよ登校初日、その不安は杞憂に終りました。担任は笑顔の穏やかな女の先生で一安心。クラスの皆も転校生が珍しかったらしく、迷いこんだ子犬を扱うように優しく接してくれました。特に嬉しかったのは下校時です。同じ方向に帰る級友たちが一緒について来てくれたのです。もう次の日からは何の心配もなくクラスに馴染むことができました。
それから僅か2年後、その県営アパートにお別れをする日がやってきました。同じ団地内の一戸建ての分譲住宅に移り住むことになったのです。入居希望者が多数であったため抽選会が開かれ、母が当選したと満面の笑みを浮かべて喜んでいたことが昨日のことのように思い出されます。
両親ともまだ30代で、建売平屋の安普請とは言え新築の家が持てることは、人生これからの夫婦にとって夢のような出来事であったに違いありません。ただ私に限れば県営アパートに住んだときほどの感動や嬉しさはありませんでした。きっと子ども心には大きなアパート住まいのほうが何かと楽しかったのでしょう。
あれから半世紀の時が流れました。今は同じ場所に建て直した家に妻と二人で暮らしています。周りの住人は私の親世代の方々が殆どで、高齢化が止まりません。先日も同じ頃に居住した隣家のご主人が亡くなられ、奥さんも施設に入られて空き家になりました。主を失いひっそりと静まりかえった家は殊更寂しく目に映ります。50年の時と想いが置き去りにされたかのような、無常の夢の跡です。