がらがら橋日記 さくら文庫

 

 奥出雲町に転勤したときあてがわれたのは、ずいぶんと年季の入った平屋の住宅だった。10坪ばかりの畑があったので古いほかは気に入って7年暮らした。ぼくはもっとそこで暮らしたかったのだが、町外に転勤することになったら、そこを出ないといけなくなった。こんな古い住宅だれも入りたくないだろう、急いで追い出さなくてもよかろうに、と町の担当者に愚痴ってみたが、規則を盾に取られてけんもほろろに突き放された。幸い、近くの住宅に入ることができて一安心したのだが、困ったのは蔵書の始末だった。本を買いそろえるのが楽しかったころなので、かなりの量があった。移転先は古くないかわりに狭かったので、とても全部は収まりそうにない。

 そのころから時々出入りしていたUさん宅でそんな話をしていたら、うちの離れをどうぞ使ってくださいと、まさかの申し出を受けた。一も二もなく飛びついたのだが、その離れというのがもともと茶室を想定していたとおぼしき三方を開け放てる珍しい造作になっており、風通しのよいことこの上ない。電気も水道も通っていないが、山と田んぼを望み、本を片手に横になるとついうつらうつらする。鴨長明は、こんなところで寝起きしていたのじゃないかと思った。

 ぼくはそこがすっかり気に入って、せっかく蔵書を置くのなら誰でも来て読める図書館にしてはどうかと思いつき、庵を「午睡亭さくら文庫」と名付けた。裏山から切り出した材木で書棚や座卓などをこしらえるのもおもしろかった。町内の若者や、松江の大学生たちも度々手伝いに来てくれたりした。

 ぼくにもっと才覚と知識があれば、いくらでもおもしろい空間にできたと思うのだが、十分に活用する道を開けぬまま松江に転勤となり、めったに顔も出せなくなってしまった。不義理を重ねている間に、Uさんも次々と家族を見送られた。月日はすべてに等しく流れ、ぼくやUさんに流れたのと同じだけさくら文庫も本も古くなっていった。本があるだけではただの書庫だ。代謝を促さなければ、場もまた年老いていくということをぼくは愚かにもわかっていなかった。

 この春、何度かUさんのもとを訪ねた。築百年超の茅葺きの母屋もさくら文庫も遠からず空き家になる、とUさんは寂しそうに言った。その地の水と養分とで育った一本の巨木のような佇まいをただ朽ちるに任せるのはあまりに惜しい。とは言え一人で考えてもたかが知れているので、いっしょに考えてくれる人捜しから始めようと思う。図書館である必要はない。茶店、お休み処、アトリエ、木賃宿、ギャラリー、塾…。

 古民家にご関心おありの方、ぜひご連絡ください。

午睡亭さくら文庫