がらがら橋日記 大雪の朝に

 

 十何年ぶりだかの大雪に見舞われた。入っていた予定は、どれもキャンセルになった。朝、窓の外から誰かがタイヤを空転させている音が聞こえてきた。しばらくエンジンを吹かす大きな音が繰り返されていたが、タイヤは空しく滑るばかりで、そのうちドアがバタンと閉まる音がして、雪にスコップが刺さる音が続けて聞こえてきた。

 ぼくは早々に引きこもりを決め込んでいて、立ち往生している車の成り行きを聞いているだけだ。こんな大雪の朝に、通学も通勤も考えないでいられるということをどう思うべきだろうかなんて考える。退職したらばこその幸福である、とか、用事がある人たちに申し訳ない、とか、そんなことどうだっていい、とか。 

 再びエンジン音とタイヤの空転する音が聞こえてきたので、そろそろ手伝いに出ようかと思ったら、男たちの話し声が聞こえてきた。ぼくより逡巡する時間の短い人たちがさっさと出て、雪をかいたり車を押したりし始めた。掛け声が重なって、どこか楽しそうだ。どうにかなりそうな感じなのがわかった。ぼくの出る幕はなくなったようだ。

 奥出雲では、こんな日は真夜中に除雪車の鈍く唸るエンジン音で目が覚めた。ピーッ、ピーッと甲高く響くバック音の混じり具合で降雪量を推し量ることができた。せわしなく鳴っているときは覚悟をして、夜明けまでまだ何時間もあるのに起き出して雪かきを始める。車を覆った雪をどかすのにも通勤にもそれだけ時間がかかるからだ。ご近所さんたちも事情は同じなのでたいてい同じような時間にせっせとスコップを振ってかき出すのだった。かき終わってもそれで安心とはいかず、息を詰めるようにして路面を睨んで学校に行き、学校は学校で大雪だから、子どもたちが来るまで雪かきをする。授業が始まるまでには十分くたびれていた。でも、それらはどれもしなければならない用事なのであって、しなかったら子どもたちやぼくや家族の日常は壊れてしまうのだから、くたびれはしても辛いことではなかった。

 窓の外の車は無事に動き出し、車中から若い男の礼を言う声が聞こえてきた。彼は会社に間に合って無事に仕事を始められるだろう。ふと大田南畝の狂歌が浮かんだ。昔ドラマにもなったので覚えていたのだが、どこかずれていたピントが今になってようやく合ったように感じた。

 世の中は われより先に用のある 人のあしあと橋の上の霜

 雪は松江にしては珍しく一週間近くも続いた。その間、用ある人のタイヤは何度も空転した。