ニュース日記 864 「医療権力」の後退 

 

30代フリーター 政府が新型コロナウイルスを季節性インフルエンザなどと同じ「5類」に引き下げ、マスクの着用は屋内外を問わず個人の判断にゆだねることを決めた。

年金生活者 しなければならないことにやっと手をつけようとしている。専門家や医療機関の力、私が「医療権力」と呼んでいる力がこれまでそれを阻んできた。国民の生活様式まで指図するこの権力に「国家権力」(政府)も「市場権力」(企業、消費者)も押されっぱなしだった。ここにきて「市場権力」がインフレというコロナ以上のリスクを突きつけ、押し返し始めた。それにあと押しされた「国家権力」が巻き返しに出たのが、こんどの遅すぎた政策転換だ。

30代 日本のコロナ対策は多くの諸外国と違って、「強制」ではなく、国民の「自粛」によって進められてきた。

年金 他の多くの国々ほど日本の国家権力は強くない。日本国民には国家による「強制」を嫌う一面がある。その代わり、進んで「自粛」するメンタリティーを持つ。

 この心性は国家の形成や更新をいつも他の大国に強いられたり、頼ったりしてやってきた歴史に由来する。その大国は前近代では中国であり、近代では欧米だった。国家のない縄文時代が1万年も続いた結果、日本人の心性には国家を拒む要素が培われ、のちに外圧によって国家を形成せざるを得なくなってからも、その要素が温存されてきた。「自粛」に熱心なのはそうした心性に由来すると推定される。

30代 安倍晋三は「自粛」に頼るコロナ対策を「日本モデル」と自賛していた。

年金 柄谷行人の交換様式論の助けを借りてそれを説明することもできる。柄谷は歴史の各時代に支配的な交換様式がA(互酬=贈与と返礼)、B(服従と保護=略取と再分配)、C(商品交換=貨幣と商品)の順に推移したと考える。縄文時代はこのうちAが支配的だった時代に当たる。そこでは、何かを贈られたら返礼しないではいられない心性が人びとをとらえている。

 それが今に至るまで温存されていて、マスク着用による感染防止という「贈与」を受けたら、自らもマスクをして「返礼」せずにはいられない気持ちを引き起こす。そうさせる力を柄谷は「霊的な力」と呼ぶ。政府が屋外ではマスクを外していいといっているのに、大多数の国民が着用を続けているのはその力が働いているからだ。

 コロナ禍の中で国民が「医療権力」に感じていたのも「霊的な力」だ。行動制限を説いてやまない専門家や医師会、病院業界の振る舞いや発言は呪術か呪文のように響いたに違いない。命が最優先される今の時代は、あたかも医療が人びとの生殺与奪の権を握っているかのような通念が行き渡っているからだ。 

30代 ジイさんはその「医療権力」が気に入らないようだな。

年金 いま振り返ると、コロナが流行しだしてしばらくたったころから、それを「5類」扱いして日常生活を送ってきた気がする。「5類」という用語を知っていたわけではない。もしコロナの検査を受けさせられるはめになり、そこで陽性と判定されて隔離でもされたらかなわないと思って、咳や熱やのどの痛みがあるくらいでは医者にかからないと決めていた。前からずっとそうしてきたように。

 幸い、咳も発熱ものどの痛みもなく、今に至っている。電車の車内などでそばのだれかが咳やくしゃみをしたら、とっさに息を止め、その場を離れるのを私流の風邪の予防法にしてきたので、それをコロナにも使おうと思っていたが、気がつくと、咳やくしゃみをする人はほとんどいなくなっていた。「自粛警察」への警戒感が広がっているのを感じた。

 やがてコロナがオミクロン株に変異すると、国民の大多数がマスクを着用しているにもかかわらず、感染者数が世界のトップレベルになるという皮肉な事態が出来し、マスクの効果が疑われだした。屋外ではもうマスクを外していた私は電車内でも買い物する店でもマスクをしなくなった。ただし、いつも出ている小会合やうるさそうな飲食店では「同調圧力」に逆らわず例外的に着用している。

30代 医療界の発言力の強さはどこから来てるんだろう。

年金 「医療権力」が「新しい生活様式」と称して国民の箸の上げ下ろしまで指図する権限があるかのように生活の細部にまで口出ししたのは、「医療」という限定された視点からしか社会を見ることができなかったからだ。そして国民がこの権力を国家や市場よりも信用し、支持してきたからだ。

 「医療」は社会の一部に過ぎないのに、その原理を社会のあらゆるところに当てはめようとすれば、感染症に対しては一切の社会活動を止めるのが最も有効という結論に導かれる。「医療権力」はそれに近づこうとした。「命が第一」が原理となっている現在の社会では、それが国民によって支持された。

 「医療権力」は自らが主導したコロナ対策によってインフレを広げた。その結果、以前ほど国民の支持を得ることができなくなり、後退を余儀なくされた。先月末の共同通信の世論調査で「5類」への引き下げに賛成が62%に達しているのがそれを示している。