がらがら橋日記 本屋温泉
本が買う物から借りる物になって久しい。それ以前は買うのが大好きだった。読書よりも買書を趣味としていたそのころは、本屋でいくらでも時が過ごせた。一つ一つの棚をじっくりと平置きの表紙、背表紙を読みながら歩く。気になる本に出合うと手に取ってパラパラとめくり、手元に置きたいと思ったら迷わず買った。就職して給料をもらうようになったら拍車がかかった。ほとんどページをめくらないまま書棚に収まってしまう本もあったが、そんなことはどうでもよかった。
あるきっかけから本を手放すことをためらわなくなり、むしろ無い方がいいような気もしてきて、借りることを優先するようになった。図書館に足繁く通うようになると、代わりに本屋から足が遠のいた。たまに行ったとしても、費やす時間はほんのわずかになった。お目当ての本のところに直線で行く、あるいは検索用のタッチパネルのもとにまず赴き、本の在庫を調べて、なければさっさと店を出る。いつの間にか本屋は、時を気にせず過ごすところから用事を済ますところに変わった。ネットや電子書籍を見るようになったら拍車がかかった。
ぼくは、自分の身に起きたこの変化を特に気にもとめず、いいとも悪いとも考えないできた。時代が変わっていくのにうまく合わせているとさえ思っていたかもしれない。
先日、珍しい好天続きにふと思いついて、山歩きに出かけ、とある温泉旅館に泊まった。部屋の縁側には小ぶりなテーブルと揺り椅子が海と島を映す窓に向かって置かれている。その端には書棚と読書机があり、プレーヤーからはキース・ジャレットが流れていた。本は一畳ばかりの小部屋にも、和箪笥の引き出しの中にも様々に置かれていた。客室ばかりか館内至る所で堂々とだったり密かにだったりして本が待ち構えていた。売り本もあった。次々と現れる本を見たり手に取ったりしていると、館主とおしゃべりしているみたいで楽しかった。古今様々なジャンルの本が脈絡なく置かれているようでいて、建築、美術、食、言葉への強い関心が伝わってくる。好きなところで好きな格好で好きな照明で一冊また一冊と読む。何だか懐かしい感じがしてくる。昔は本といっぱい遊んでいた。
機械的に分類された図書館仕様の読書でいつの間にか頭が硬くなっていたようだ。人との付き合いがそうであるように、本との付き合いも分類なんて背景に消えかかっているぐらいでいい。もっと五感で味わうべし。ここの温泉の効能書きは見逃したが、もしなかったら一筆加えたい。読書に効きます。