ニュース日記 860 敵基地攻撃能力に抑止力はあるか
30代フリーター 政府は敵基地攻撃能力の保有を明記した「国家安全保障戦略」など安保関連3文書を閣議決定した。保有の理由として、相手に攻撃を思いとどまらせる「抑止力」の向上をあげている。
年金生活者 「相手に思いとどまらせたい攻撃」としてどんな攻撃が想定されるのか。それを推測すると、すべてアメリカが戦争する場合に行き着く。
なぜいまの日本に「抑止力」の向上が必要なのか。「政府は、ロシアのウクライナ侵攻や北朝鮮の核・ミサイル開発、中国の軍備増強により、日本を取り巻く安全保障環境が厳しさを増していて、防衛力を強める必要があると説く」(12月14日朝日新聞朝刊「いちからわかる!」)
ロシアが日本を攻撃する可能性があるのは、アメリカと戦争になったときくらいしか想定できない。そのときは在日米軍基地にミサイルを撃ち込む可能性がある。だが、そんな戦争はアメリカの同盟国がロシアから攻撃を受けた場合しか考えられない。ロシアはウクライナを攻撃する意思や能力は持っていても、NATOや日本を攻撃する意思や能力は持ち合わせていないので、そうした想定は架空に近い。
北朝鮮が日本をミサイル攻撃する場合も、アメリカと戦争になったときしか考えられない。その場合はやはり在日米軍基地などを狙う可能性がある。けれど北朝鮮の軍事的な振る舞いの履歴を振り返ると、自らアメリカに手出しする可能性はゼロに等しいから、米朝戦争が起きるとしたら、アメリカのほうが体制転覆をはかる作戦を開始したときくらいだろう。ロシアに手こずる今のアメリカはそれどころではないはずだ。
30代 中国が台湾の武力統一に踏み切ったときは日本も否応なく戦争に巻き込まれる可能性があると言われている。
年金 それもアメリカが武力介入した場合に限られる。その作戦に使われる在日米軍基地を叩く必要を中国は感じるだろう。その判断は日本の敵基地攻撃能力の有無とは関係なしになされるだろう。そもそも台湾侵攻そのものが、アメリカの敵基地攻撃能力を織り込んだうえで開始されるはずだ。
以上を考えると、敵基地攻撃能力は日本の抑止力の向上のためという政府の説明はリアリティーが乏しいことがわかる。ただし、アメリカにとっては、アフガニスタン、イラクでの戦争のあと戦争遂行能力が著しく低下したことで生じた抑止力のすき間を埋めることができるし、日本にミサイルを買わせて自国の軍需産業を潤わせることができる実利がある。
30代 憲法9条にもとづく「専守防衛」からの逸脱が懸念されている。
年金 専守防衛がつくり出してきた、目に見えない非物理的な抑止力を低下させるばかりではない。大量の武器弾薬を買い込んでも、それを使う自衛隊員の確保には少子化の厚い壁が立ちはだかる。
世界の大学や研究機関の研究グループが参加して実施している「世界価値観調査」によると、「もし戦争が起こったら国のために戦うか」との問いへの回答で日本は「はい」が13・2%と、調査対象79カ国中最低だ。一方、昨春の朝日新聞の世論調査では、自衛隊は憲法に「違反していない」が78%にのぼる。つまり、もし戦争になったら、自分は戦わないけれど、自衛隊が戦うのは支持すると考えている国民が最も多いということだ。しかし、その自衛隊がいま定員割れしていて、少子化がさらに進めばだれが戦車に乗るんだといった指摘もある(永江一石「自民党の防衛力強化論は全くの空論」)
そんな国が武張ったところで手にできる抑止力は知れている。抑止力は「戦う気」がないと抑止力たり得ないからだ。これに対し、「戦う気」のなさを武力の抑制によって表明する専守防衛は目に見えない抑止力を生む。赤ん坊に危害を加える者はまれにしかいないように。
30代 朝日新聞の世論調査(12月17、18日)では、敵基地攻撃能力の保有に「賛成」は56%と過半数におよんでいる。
年金 防衛費増額のための増税に「反対」が66%、国債発行に「反対」が67%にのぼる。つまり国民は事実上、軍備の増強を拒んでいると見ることができる。
このようなメンタリティーは、日本もそのひとつであるはずの国民国家の理念から逸脱している。国家は王や皇帝のものではなく、国民のものであり、だから国家は国民が自らの手で守るという前提に立っているのが国民国家だ。それは西欧で市民革命によって誕生した国家の形態であり、日本国民に同種の経験はない。戦後、アメリカに国民国家の体裁だけを与えられ、そのことが戦争観にも反映している。
日本人は少なくとも近代的な意味での戦争を嫌っているように見える。明治維新後に何回も戦争をしたのは、それらがいずれも天皇のための戦争、いわば古代的な戦争だったからだ。それでも国民を総動員する第2次世界大戦を戦うことができたのは、国民と天皇との間の距離が一面では遠いように見えて、他面では密着するほど近いからだと考えられる。
そう考えると、日本国民がいざとなったら戦争をする覚悟を持つようになる可能性は極めて薄いと言わなければならない。