がらがら橋日記 才の浦

 

 隠岐の男性教師は、釣りをするかパチンコをするかだ、というのはよく知られている言い回しで、ぼくも隠岐にいたころは幾度となく聞いた。使われる状況次第で冗談にもなり、自嘲とか揶揄にもなる。釣りとパチンコそれぞれの特性は、逆ではなく近いところにあるような気がするから、どちらも嗜む人もいるだろうし、どちらもしない人ももちろんいる。おそらく真意は、隠岐で時間を忘れるほどの遊び上位二つということだと思う。

 結果的にぼくもその言葉の範疇に収まってしまった。パチンコはしないので、というか隠岐に行く前に止めてしまったので、もっぱらしたのは、もう一方だ。指南してくれる人は身近なところに何人もいて、いろんな釣り場に連れて行ってもらった。釣り師天国と言われるだけあって、教えてもらったとおりに投げていれば、そこそこの釣果は得られた。そのうち一人でも行くようになった。釣れるかどうかよりも、あまり人がいなくて、のんびり過ごせそうなところばかりを選んだ。獲物を仕留めに行くより、一人になりに行っていた。磯やら波止やらに度々足を向けるのだから、隠岐に赴任した者の常道として端からは魚釣りにはまったように見えたかもしれないが、

「ねえ、ほんとうに魚釣りにはまってるの?」

と、問われることもあった。はまった人間のぎらつきをその人はぼくに感じなかったのだろう。見透かされていると思った。

 打ち寄せる波に向かって釣り糸を垂れているといろいろなことが浮かんでくる。魚との駆け引きにわくわくも感じたが、陰鬱な思いもそれに増して打ち寄せてきた。「何しに来た」、そのころ読んでいた入沢康夫の詩の一節が、怒気を含んで谺した。なぜここにいるのか、妻と幼い子ども二人を連れて、ぼくは自分の居場所を見出せないでいた。

 ついこの間、隠岐を離れてから一度もしていなかった釣りに誘われて、夕方から夜にかけて島根半島の才の浦に立った。風と波音が響く中にいると、すっかり忘れていた三十年近く前の自分に戻っていくようだった。心細さにひりついたままの自分に。でも、同時に数日前に隠岐からやってきたS夫妻の顔も浮かんできた。久しぶりに訪ねてきた二人と、一日松江の山歩きと食事を楽しんだのだった。おもしろい話もつらい話も変わらず明け透けなのがありがたかった。

 若さゆえ、仕事も生活も振り返るだけの材料を持たず、ただもがくことしかできなかった自分をぼくは隠岐に置いたままにできたのかもしれない。才の浦の海は「何しに来た」とは言わなかった。