ニュース日記 848 「帝国」の攻防

 

30代フリーター やあ、ジイさん。米中両外相がニューヨークで会談し、台湾をめぐって主張をぶつけ合う一方、対話を継続する方針で一致した、と報じられている(9月25日朝日新聞朝刊)。双方が一歩も譲らない姿勢を自国民向けにアピールし、流血の事態は避けるという共通の利害を確認したということか。

年金生活者 アメリカと中国はともに21世紀の2大「帝国」と呼ぶことができる。前者が基軸通貨という圧倒的な武器を手にする「世界帝国」であるのに対し、後者はまだ「地域帝国」にとどまっているが、この先その力は増大するというのが大方の見方だ。

 米中両「帝国」の対立を「無血の戦争」と見るなら、それはかつて米ソ両「帝国」が「服属国」を率いて争った東西冷戦と似ている。この戦争では、自国民および「服属国」の国民の支持をより多く勝ち得たアメリカが勝利し、より少なくしか支持を得られなかったソ連は解体した。国民の多数の支持を得たのは自由な市場であり、統制された市場ではなかった。

 米中の「無血の戦争」は自由な市場か統制された市場かをめぐる戦いではない。両国はともに自由な市場を基盤とする資本主義システムをとっている。中国がソ連のようにあっけなく倒れることはあり得ない。戦争のゆくえは見通しがたいということだ。

30代 「新冷戦」と呼ぶと判断を誤るかもしれない。

年金 東西冷戦と似ている点をあげるとすれば、「無血の戦争」がこの先も続くだろうということだ。「帝国」と「服属国」あるいはその他の非「帝国」との対立は、ロシアとウクライナ、アメリカとアフガニスタン、イラクの関係のように「流血の戦争」に転化するが、「帝国」どうしの対立は「無血の戦争」として戦われる。核の存在がそれを強いるからだ。ウクライナを侵略したロシアに対しアメリカがはなから武力行使を放棄していることがそれを語っている。

30代 ソ連「帝国」が崩壊したとき、その「服属国」の多くは直前まで敵対した「帝国」の「服属国」になる道を選んだ。ドミノ倒しのようにNATOに加盟した。

年金 「帝国」としての復活・発展をはかるロシアにとって、それは自国を「帝国」として成り立たせていたつっかえ棒を次々と失うことを意味した。そればかりか、多くの手駒を敵方に持たせることでもあった。隣のウクライナまでNATO加盟を望んだのを見て、プーチンは脅えた。「帝国」の復活・発展どころか、衰えながらも残っている「帝国」の維持すら危うくなると考えたに違いない。

 それはプーチンにとって、国家の統治そのものの危機、自らの独裁の危機を意味した。ウクライナ侵略はその危機を突破する手段として選ばれた。もし彼が自国を他国と対等な「主権国家」と考えていたら、あり得ない選択だった。だが、彼は自国を他国より高い地位にある「帝国」と考えていた。世界を対等な「主権国家」群から成るシステムと考える近代西欧の理念に照らせば明らかな国際法違反も、「帝国」にとっては視野の外にしかない。

30代 「帝国」の経営は無理を重ねないとできないようだ。

年金 領域内に文化や制度の異なるさまざまな勢力を抱える「帝国」はそれらを束ねるのに苦労する。そのために宗教を必要とした。諸勢力の宗教を超える普遍性を備えた宗教を国教として国家の一体性を維持した。

 古代ローマ帝国はカトリックを、中華帝国は儒教を、ロシア帝国はロシア正教を、オスマン帝国はイスラム教を、神聖ローマ帝国はカトリックをそれぞれ国家存立の支えとした。

 17世紀ヨーロッパのウエストファリア条約が「帝国」を衰退させ、「主権国家」を中心とした世界システムを築いたのは、「帝国」の宗教が世界秩序を混乱させる大もとになってしまったからだ。

 カトリックとプロテスタントの争いを中心とする30年戦争を終結させたこの条約は、カトリックを国教とする神聖ローマ帝国を事実上の解体に追いやることによって、新旧キリスト教の国家規模での宗教対立を終わらせた。

 それは国家が国教を持つ時代の終わりの始まりだった。「帝国」のような広大な領域を持たない「主権国家」は、内に抱える勢力が「帝国」にくらべてはるかに少ない。それを束ねるための国教を必要とする度合いは小さい。やがて市民革命を経て「国民国家」に発展していくと、平等な権利を有する「国民」の同質性が国家の一体性を保つ理念となった。そこではキリスト教の神に代わって「国民」が神となり、国家自らが宗教となった。信教の自由、政教分離はその最大の教義にほかならない。

30代 国教を取り替えた「帝国」もある。帝政ロシアはロシア正教を共産主義に据え替えてソ連になり、崩壊後ふたたびロシア正教にもどした。中国は共産党が政権を握ったとき儒教から共産主義に国教をかえ、のちに儒教を限定的に復活させた。

年金 儒教の復活は「改革開放」のイデオロギー版だ。最後まで統制経済とマルクス主義を固守した結果、一挙に崩壊したソ連とは対照的と言っていい。変わらないのは依然として「帝国」であろうとする意志だ。